志村先生は先の戦争末期の頃には中学生で、勤労動員などを経験していた。勿論空襲も人並みに体験しており、防空壕掘りもなさったとのことである。アメリカ軍による東京の〈1945年の〉空襲としては、3.10、4.13、5.25の3回が大規模だったようで、「記憶の切繪図」に次の記述がある:
“五月二十五日の空襲のあと印象に残った事をひとつ書く。樹木などは葉はもえてしまって、黒焦げの幹と枝が少し残るのであるが、ほんの数日のうちに、その黒焦げの幹にオレンジ色の茸がびっしりと生えたのである。火事の焼跡などではその季節には普通の現象なのかも知れないが、何とも異様な風景であった。”(p.88)
先生は書いていないが、この茸は「ヤケアトツムタケ」というもので、文字通り焼け跡に集中的に発生するキノコの代表格らしい。毒キノコとする文献もあるらしいが、実際はおいしいらしい。
木造建築の少なくなった都会では(火事場で)見るチャンスはあまり無いだろうが、郊外、林地、山中などの焼跡(たき火など)で見られる可能性があるそうだ。一回限りでなく、季節が廻ればまた生えるとも。
(「きのこ 迷写真館」さんサイトから)
(森林総研九州支所サイトから)