先月ちびりちびり読んだ市大樹著「飛鳥の木簡 古代史の新たな解明」(中公新書 2012.6)は、期待したほど刺激的ではなかった。
木を薄く削いだ断片たる木簡から古代の歴史を読み取ると聞くと、自然科学における画期的な法則の発見譚に似た興奮を覚えるのだが、本書では、重要な論争点について結論留保という慎重な姿勢の為もあり、肩透かしを食ったような読後感がある。
とは言え、好奇心を満たしてくれる記述もあった。例えば、「次米」と書いて「しとぎ【粢】」と読む用法があったということ。粢の字に初めて出会ったのは、確か13年前、北国でのことである。直ぐには読めなかったと思う。その地方の郷土菓子としてかなりの知名度が有り、製造発売元は地元の名門企業のようであった。
因みに、「しとぎ【粢】」とは、某辞書によれば、“水に浸した生米をつき砕いて、種々の形に固めた食物。神饌(しんせん)に用いるが、古代の米食法の一種といわれ、後世は、もち米を蒸して少しつき、卵形に丸めたものもいう。しとぎもち。”である。
上掲書では、“正月儀礼用のモチ米である「次米」=「粢(しとぎ)」で、特別な貢納物”と説明されている。
北国の郷土菓子「粢餅(しとぎもち)」がいつごろ発明されたのか、あるいは、いつごろまで起源を遡れるのか、興味深い。まさか飛鳥時代ということは無かろうが。
もう一つ、数字(日付)に関する新知識も得られた。日本書紀によれば、草壁皇子は持統天皇3年(AD689)4月13日に死去したのだそうだ。石川啄木の命日に絡んで、彼の没後100年に当った2012年に何回か話題にした日付だ。
天皇即位を目前にしての若死にだったそうで、母である鸕野讚良(うののさらら、後の持統天皇)が最大のライヴァル大津皇子を粛清した(AD 686)甲斐も無かったわけである。なお、この4月13日は、暦注で万事の凶とされる九坎日(くかんにち?)だったとのこと。
もう少しアカデミックな(我が)新知識を挙げておくと、当時の漢字の音読には古韓音・呉音・漢音の三通りがあったそうである。三通りと言えば、呉音・漢音・唐音と覚えていたものだが、唐音は五百年ほど下って新しく流入したそうだ。