時は1894(明治27)年11月24日、会場は東京音楽学校奏楽堂、日本赤十字社後援の慈善音楽会最終の演目は、グノー《ファウスト》第1幕、書斎の場だった。
合唱は音楽学校の生徒、管弦楽は宮内省式部職楽団で、いずれも日本人だけで構成されている。舞台の演者(キャスト)はすべて日本在住の外国人(英独墺伊)で、うちメフィストフェレスを演じたのはオーストリア代理公使クーデンホーフェ伯爵(Count Heinrich Coudenhove-Kalergie)とある。
この人は、欧文ではHeinrich Graf von Coudenhove-Kalergi が正しい表記のようであり(ウィキペディアによる。)、一般にはクーデンホーフ光子と呼ばれている日本人妻の方が有名である。彼が比較的若くして亡くなった一方、彼女は夫の死後35年も華やかに生きた(年齢的には長命とも言えないが)からだろうか。
それはともかく、光子さんの夫たるクーデンホーフ伯爵が、プロの音楽家に伍してオペラの重要な役を演じるほどの音楽の素養を有していたことを記す資料は見当たらなかったそうだ。
この音楽会を上田敏(当時帝大生)が聴いていて、翌明治28年1月号の「帝国文学」(第1巻第1号)に批評《楽劇の餘響》を寄せたそうである。彼は、当時最も多弁な音楽批評家で、辛口評も多く、楽界から激しい反発を買ったこともあると言う。森鷗外大先生とも論争したそうだから大したものだ。