志村先生は、音楽家Mozart をカナ表記する場合は“モツァルト”であり、“モーツァルト”とは書かないと仰る。まさに、我が意を得たり、と思った。半世紀以上も前に英語の教科書に登場したこの楽聖の名を、英和辞書の発音記号から“モザート”と覚えたからだ。
ところが、今、念の為検索してみると、百パーセント“モウツァー(ㇽ)ト”のように発音するではないか。実際の発音もその通り、つまり、“モーツァルト”に近いのだ。当方の記憶が初めから錯誤に基づいていたのか。それにしても志村先生のお気に召さない調査結果となった。ちなみに、某辞書の表示は次の通り: Mo・zart /móutsrt/
全く偶然だが、今読んだばかりの高橋英夫/著「音楽が聞える 詩人たちの楽興のとき」(筑摩書房 2007.11)に、“モツアルト”を見付けた。中原中也の日記や、詩集《山羊の歌》の中の「いのちの声」が引用されていて、そこに、“モツアルト”が登場する。
青空文庫の「いのちの声」では次の通り:
もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼(あを)ざめたるかな。
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
~~~
ネット検索すると、“モツァルト”は殆どヒットしないが、“モツアルト”は数えきれないほどある。これは、必ずしも発音への拘りが影響しているとは言えないだろう。“ギリシャ”よりも“ギリシヤ”と書く方が正式で重みが有るように感じられたりすることもあるから。
という訳で、Mozart の発音に関しては、志村先生の分が悪いような結果なのだが、本当はどうなのか、あまり自信は無い。
なお、今は”チェーホフ”と書くのが普通のロシアの作家を彼は”チェホフ”としている。長音記号がお好きでなかったのかも知れない。