志村五郎/著「数学をいかに教えるか」(筑摩書房 2014.8)を一応読んだ。純粋に数学的な内容に徹する部分は飛ばしたから、“一応読んだ”として置く。例によって、いつ、何故本書を図書館に借用予約したのか皆目覚えていないが、新聞書評欄の推薦文に誘われたに違いない。
出版社のキャッチコピーは、“掛け算の順序、悪い証明と間違えやすい公式のことから外国語の教え方まで、日米両国で長年教えてきた著者が日本の教育を斬る。”である。ちなみに、著者は、かの“フェルマーの最終定理”の証明過程の重要部分を成す“谷山・志村予想”の、知る人ぞ知る世界的な数学者である。
個人的読後感をひと言でいえば、これは素晴らしい本である。内容の良し悪しを離れて、これほど明解に、合理的に、著者自身のものの見方を吐露した本をいまだかつて読んだ記憶が無い。と言っても、大した読書家でもない当管理人の評では余り重みが無いか。
教育や数学に係る興味深い記述は沢山あるが、先ず、歌マニアの立場で特筆すべきは、著者が本書を童謡の話題で締めくくっていることだ。
著者夫妻はオペラ鑑賞を趣味としているが、奥さんは突然台所で「足柄やーまの金太郎、くーまを集めてすもうのけいこ、はっけよいよい、のーこった」などと唱い出すことがある。
著者自身は、「昔丹波の大江山、鬼共多くこもりいて、都に出ては人を喰い、金や宝を盗み行く、源氏の大将頼光は、時の帝のみことのり、お受け申して鬼退治」が好きだ。歌詞はどうでもよく、単に曲が好きなのだ、と言う。
自身の葬式で「昔丹波の大江山、、、」と歌を流したらどうかなどの軽口の後、“「大江山」の行進曲に合せて極楽か地獄に行進して行く、そんな状景を思い浮かべるのである”と結んでいる。
数学はちんぷんかんぷんで歯が立たないが、童謡なら志村先生と対等に渡り合えると思うと救われる。奥さんの「金太郎」だが、正統の歌詞とはズレがあるようだ。先ごろ紹介した「名作唱歌選集」によれば、次の通りだ:
1 まさかりかついで金太郎 熊にまたがりお馬の稽古 ハイシイ ドウドウ ~
2 足柄山の山奥で けだもの集めて相撲の稽古 ハッケ ヨイヨイ 残った ~
奥さんの歌詞は1番、2番混交となっている。しかし、これは志村先生の聞き違い、覚え違いかも知れないことを奥さんの名誉の為に留保しなければならない。
一方、先生自身の「大江山」の歌詞は寸分違わず正確であると思われる。実は、「名作唱歌選集」では、
1 昔丹波の大江山 鬼ども多く籠りいて 都に出ては子供等や 人の宝を盗み行く
2 源氏の大将~~~
となっており、先生の「都に出ては人を喰い、金や宝を盗み行く」と食い違っている。これは、「名作唱歌選集」の方が、《編集の記》で述べているように、“題目や歌詞が平和日本の現状にふさわしくないものもあるので、それ等は曲を生かす様に苦心改作しなければならなかった”のである。
さすが水も漏らさぬ緻密な論理を展開する数学の先生、童謡と雖も疎かに思ってはいないのだな。