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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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不回顧今年~呆けテスト~御高覧御礼

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この一年を振り返って、とか、今年の十大事件は、などと大仰に構えるほどの人生を送っていないので、回顧はしないことにする。それより、我が脳や精神の劣化が気になるので、少し点検してみたい。
 
次の文章がなかなか理解できなかった:
 
“大島渚は長男武(小三)の宿題の父親の子ども時代の作文に「タケノコごはん」を提出する。”
 
入力し終わった時点でも未だはっきりしない。そもそも、主語・述語を明確に認識していない。こんな場合、句読点を補うとすっきりすることがあるので、
 
“大島渚は長男武(小三)の宿題の父親の子ども時代の作文に「タケノコごはん」を提出する。”
 
としてみる。“大島渚は~~~を提出する。”という構文であることが解った。残るは“長男武(小三)の宿題の父親の子ども時代の作文に「タケノコごはん」”すなわち“提出する”の目的語である。
 
「の」が4個連なっており、これが曲者だったのかなと思う。意味が通るように読もうとすると、“長男武(小三)の宿題”と“父親の子ども時代の作文”とが同格であると考えざるを得ない。この二つが4番目の「の」で以って修飾節となり、残る「タケノコごはん」が“提出する”の目的語の本体である。
 
ここに至って、何故この文章が理解困難であるかがほぼ理解できた。“宿題を提出する”のは、普通は子供(生徒)である。本件の場合は“長男武(小三)”である。ところが、この文章では、大島渚本人が提出することになっている。そこで辻褄を合わせるには、
 
“大島渚は長男武(小三)の宿題の父親の子ども時代の作文に「タケノコごはん」を、彼(長男武)に、提出する。”
 
と読まなければならない。物理的には問題解決であるが、日本語として尋常であるかどうか。あるいは、何らかの事情により、長男武に代わって渚が直接学校に提出したのかも知れない。
 
そこまで考えさせられる(悩まされる)のは、小生の理解力不足か、上掲文が異常なのか。因みに、これは多分、一流大学の優秀な、書き物に習熟している学生あるいは院生による作文から抜いたものである。前後の脈絡はこの一文の読解に関係しない。
 
さて、本当の問題は、以上の思考過程に欠陥が無いかどうかである。呆けを暴露しているかも知れないが、これを以って、この一年の総決算としよう。
 
拙ブログにお目通し下さった方々にお礼申し上げるとともに、ご健勝をお祈りいたします。
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