生井弘明著「われら愛す 憲法の心を歌った“幻の国歌”」に収録された新国民歌の審査委員山田耕筰の応募作審査メモ(音楽の友 1954年1月号)によれば、彼は歌詞及びメロディーの当選作に些か不満が有り、“2箇所ほど加筆した”そうだ。
具体的にどのように変わったのかは知る由もない。伴奏、合唱や管弦楽の楽譜を作る際に手を加えたという意味だろうか。当選発表されたメロディー譜自体が耕筰の編曲となっているのだろうか。
現今、我々が印刷物として手にする「われら愛す」の楽譜には、編曲者として高浪晋一の名が記されているものがある。耕筰と連名になっているものもある。察するに、原編曲者は耕作であって、高浪は後に合唱譜を編曲したものである。原曲は変ロ長調(2♭)で、合唱譜はハ長調と一音上がっている。最高音は、原曲ではミ♭で、一般の斉唱用に考えられている。
ところで、生井の著書によれば、宝塚雪組による「レヴュー“われら愛す”」が1954年7~8月に東京の帝国劇場でも上演され、新珠三千代も出演したとある。彼女が宝塚出身とは知らなかった。
偶々同公演のプログラム(帝国劇場7月2日発行)があったので調べてみたが、新珠の名は無かった。同じ公演の宝塚歌劇団7月1日発行の脚本集には有った。当時の新聞、雑誌をチェックすれば真相が判るだろうが、またの機会にしよう。