Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

弥兵衛という無名の~無名の流罪人~無名の泥棒

$
0
0
日本経済新聞20141222付け朝刊文化面に「流罪人が結んだ異郷の縁」と題したエッセーが載っていた。その初めの方にあった次のくだり:
 
~兵庫県朝来市と長崎県壱岐市が~但馬地域の朝来と玄界灘に浮かぶ壱岐。数百キロメートル離れた両市は何の関係もないようだが、実は300年近く遡る深い縁がある。結んだのは、小山弥兵衛という無名の流罪人であった。~
 
“小山弥兵衛という無名の流罪人”が気になった。“小山弥兵衛”というれっきとした氏名が有って“無名”と冠されることにチグハグな印象を受ける。また、“無名の流罪人”も奇異な表現に思われる。
 
“無名”には、文字通り“名が無い”の意味の外、“有名でない”の意味もあるから、上記表現は決して誤用ではない。誰でも“小山弥兵衛という有名でない 流罪人”と読むから何も問題は無い。
 
しかし、語感に引っ掛かる。名前があるのに無名と呼ぶことの字面上の齟齬が無視できない。また、“無名の流罪人”には、“無名の新人”“無名の職人”“無名の活動家”などの表現に馴染んだ耳には奇異に聞こえる。
 
“無名の”に修飾される言葉は、慣用的に“有名な○○”と表現される○○に該当するものではないのか。“有名な学者”“有名な評論家”“有名な画家”“有名な政治家”など、有名人がいて当たり前の職名や地位について言うのではないか。
 
マイナスイメージを持たないのが普通だ。“無名の泥棒”“無名のほら吹き”など、あり得ないとは思わないが、特殊な文脈でしか用いられないだろう。
 
趣味の問題かも知れない。揚げ足取りと窘められるかもしれない。或いは勘違いで愚論を展開しているかも知れない。それでも一言書いてしまうのは、殆ど病気かも。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3イメージ 4

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

Trending Articles