一昨日の日経朝刊に、童謡「みかんの花咲く丘」を作曲した海沼実について、彼の孫であるという三代目海沼実氏が書いていた。書き出しが「みかんの花咲く丘」で、中間にも、その歌詞が作られた経緯が紹介されている。海沼が加藤省吾に依頼して“静岡のみかん畑”のイメージで作詞して貰ったのだそうだ。出来上がりまでに相当苦労したと書かれていたと記憶するが、そうであれば、ウィキペディアなどにある通説(短時間で作成)とは些か違うことになる。
いずれにしろ、「みかんの花咲く丘」が海沼の代表作であり、戦後日本の代表的な童謡であり、名作であると三代目海沼実氏も認めているわけだ。それにしては、作曲者である海沼についての一文であるのに、“作詞”も結構だが、“作曲”面について触れていないのは物足りない。
通説では、“伊東に向かう東海道線の汽車の中で、海沼は作曲に取りかかり~国府津を過ぎた頃に、音楽学校時代にヴァイオリンでよく弾いていたオペラの曲を思い出して~八分の六拍子の前奏八小節ができ~後は、メロディーが自然にわきあがって、伊東に着いた時には、完全にできあがって~”のように言われている(「みかんの花咲く丘」~母さん・姉さん~メロディー「元歌」2013/4/17(水))。
しかし、この通説には大いに疑問があることは、先に当ブログで述べた通りである(情報局「週報」③~国民合唱「雲に寄せる」~「みかんの花咲く丘」2011/11/15(火))。作曲家であり、音楽評論家でもあるという三代目海沼実氏が「みかんの花咲く丘」の“作曲エピソード”の類いをご存知無いとは考えられない。次の執筆の機会には是非一言でも触れて頂きたいものだ。
ところで、三代目海沼実氏の祖父が「みかんの花咲く丘」を作曲した(初代)海沼実であるが、二代目海沼実氏は登場していない。やはり音楽家だったのだろうと思われるが、気になる。