「聞き書き 井上頼豊 音楽・時代・ひと」からもう1項目“レッドパージ”について抜き書きしておこう:
「NHKが赤い芸能人をしめだし」と1950年10月、新聞が一斉に報じた。陽の当たる場所から共産党系の人物を排除するGHQ(占領軍総司令部)の意向を受けたものだ。NHKは表向き、本件は関知しないとの立場を表明したが、番組の人選でさりげなく実行された。自然にそうなったというポーズをとった。
今では信じられないような人物が排除された。演劇部門では、宇野重吉、滝沢修、三島雅夫、若山喜志子など。音楽部門では、吉田隆子、園部三郎、原太郎、関鑑子、鈴木恭子らと共に、井上がリストに載っていた。民放、レコード会社もNHKに倣ったため、生活が急転、食うに困ることとなった。(日活は排除に同調しなかった。)
演劇部門では、支援するグループが運動した結果だと思うが、なし崩しに排除が無くなった。井上がその後NHKに出演したのは、チャイコフスキー・コンクールの時など数える程であった。NHK内の一部の人達の骨折りで、1952年7月にラジオでベートーヴェンのソナタ第2番を弾いた。原太郎(わらび座)も、「人生手帳」で1週間出演したことがあった。いずれにしても、とても難しいことだった。