山田耕筰が美空ひばりソングを作曲したことほどには驚かないが、やはり意外に思ったのは、ラジオ歌謡にも手を出していたということだ。
後藤暢子によれば、1951年に深尾須磨子作詞の「手まりうた」を、1952年に佐藤春夫作詞の「名所の四季」を作曲したという。ラジオも無い境遇にあった者には、全く記憶に無い歌だ。
前者は1952年1月に、後者は1953年1月頃に放送されたとの情報が有る。
まりつきましょてんてまり 一つひとりでつきませう ~
春はあけぼのむらさきに 横ぐも匂いただよいぬ ~
ラジオ歌謡(及び戦前・戦中の国民歌謡、国民合唱など)には、錚々たるクラシック系の作曲家が以前から多数名を連ねているから、山田耕筰の登場は、むしろ遅きに失すると言うべきか。
尤も、耕筰の方が、歌謡曲など眼中になかったかも知れない。戦後になって、さすがの大先生も生計を立てる為には客を選んでいる余裕が無かったとも考えられる。後藤暢子の論調に倣えばそういうことになる。