先の大戦中は軍服、軍刀を着用して、国民を戦争協力に駆り立てた山田耕筰が、戦後は一転して平和主義の歌を作曲した、などと目くじら立てる時期は疾うに過ぎた。
それでも、具体的に、彼が(広島の?)平和の鐘楼建立会から委嘱されて、《平和を讃える三つの歌》を作曲した(1950.8~1951.2)と教わると、感動する。
後藤暢子によれば、湯川秀樹、斎藤茂吉、永井隆の短歌各1首に曲を付けたものである。改めてネット検索して、次のことが判った:
平和を讃える三つの歌
1. ものみなの 湯川秀樹
物みなの 底に一つの 法ありと 日にけに深く 思ひ入りつつ
2. あめつちに 斎藤茂吉 (‘あめつちに’以下は不明)
3. 燔祭の 永井隆
燔祭の 炎の中に 歌いつつ白百合おとめ 燃えにけるかも
これら3曲を一部試聴できるサイトがあり、聴いた限りでは、それなりの力作のようだ。「ものみなの」は無調音楽風である。「燔祭(はんさい)の」はオーソドックスな女声合唱曲だった。「あめつちに」は両者の中間的な印象の独唱曲だった。
当管理人なりの理解では、哲学的、思索的な第1曲では無感情な印象の無調曲とし、第2曲では人の意識を現実世界に近づけ、第3曲で耳に馴染むメロディーに乗せて救いの思いを湧き起こして終わるという組み立てをしたのではないか。尤も、3曲の全体を聴いたわけではないので、妄想に等しい希望的推測でしかない。
「燔祭の」は、別途、かなり激しい論争をもたらしたらしい。永井隆の評価に係わる論争があったとは、全く知らなかった。