「詩人のための量子力学」の第1章(これがショックじゃないなら、君はわかっていないのだ)に、“10-35メートルが、存在すると考えられている最小の距離尺度で、この尺度に達すると、量子効果のせいで距離そのものが意味を失う。”とある(p.39)。
以前、“大きさの最小限界”の有無について自問したことがある(年頭妄想~究極の微粒子~生誕二百年 2013/1/1(火))。ヒモだの粒だのの概念で究極の物質要素を探究するのは、永遠の逃げ水ごっこではないかと、その時は思っていた。
さて、現代の量子論では“10-35メートルが最小の距離尺度”であるとのご託宣だ。これは、計測手段(装置)の分解能の話ではないと思われる。これより短い距離は無いと言っているのと同じだ。距離量子と呼んでも良さそうだ。
また、究極の素粒子が存在するとすれば、その大きさもこの距離量子のサイズよりも小さくはないということだ。この単位に“μ(ミュー)”という名前を付けよう(ミクロンは、今は使われないので)。
光が1メートル進むとは、1035μを順次伝わることに当たる。滑らかに連続的に伝わる現象ではなく、1035個のμを踏み石を踏んで来る離散的現象なのだ。
真空中の光速を30万キロメートル/秒として、1μに要する時間は(1/3)*10-43となる。これは時間の最小単位、つまり時間量子なるものが存在すると考えてよいのだろうか。