野ばらの歌は世に多数ある。我々日本の庶民が直ぐに思い浮かべるのは、昨日取り上げたシューベルト作曲と同じくゲーテの詩によるヴェルナ-作曲の両「野ばら」だろう。このゲーテの詩による歌曲群を具に調べた人の著作があるらしいから、解説まがいを書いて恥を掻く愚は避けたいが、数字マニアの観点から連想したことを記しておこう。
ゲーテJohann Wolfgang von Goethe 1749年8月28日-1832年3月22日
シューベルトFranz Peter Schubert 1797年1月31日-1828年11月19日
ハインリッヒ・ヴェルナー Heinrich Werner 1800年10月2日-1833年3月3日
「野ばら」の作者3名の生没年月日を並べると上のようになる。詩人ゲーテは82年余の長寿だったが、シューベルトとヴェルナ-の両音楽家は31、32の若さで逝った。
シューベルト没からヴェルナ-没まで4年4か月弱の間にゲーテが没している。ここだけを見れば、野ばら三人衆は同時代人であった。
シューベルトがゲーテの詩に作曲して彼に献呈したけれどもほぼ無視されたとか、気付かれなかったとかいう話がある。三人衆は互いの作品で結びつき、あるいは影響を及ぼしたりする関係にあったが、直接の接触は無かったらしい。
ヴェルナ-の1833年 3月3日没というデータも目立つ。単に同じ数字が偶然に並んだだけのことだが、日本人には殊更刺激的だ。桃の節句はさて置き、百年後の’33年3月3日と言えば、昭和三陸地震の発生した日だ。
そして、その年の9月21日に(脈絡なく恐縮だが)宮沢賢治が没している。彼は37歳だから、野ばらの両音楽家に較べれば少し長命だったものの、若くして亡くなった芸術家の代表格の一人だ。
実は、賢治は地震には縁が深いと言える。かれの生まれは1896年(明治29年)8月27日で、その少し前、6月15日に明治三陸地震が発生している。没したその日に能登半島地震が発生し、死傷者60人と伝えられている。何れも何ら因果関係無い偶然の事象だから、拘るのはナンセンスではある。しかし、なぜか興味を惹かれる。
ところで、ヴェルナ-の「野ばら」は1829年に世に出ており、シューベルト作品に遅れること14年であるが、日本紹介されたのは1884年で、逆に28年も早かったらしい。(池田小百合氏のデータによる。)