某老健介護施設で月1回、入所者の歌うレクリエーションのお手伝いボランティア活動に参加するようになって半年ばかり経った。進行役を引き受けてからはプログラムを組んで対応している。昨日はつぎのような内容にした:
Ⅰ 夏の歌(2)
1 我は海の子 2 砂山 3 箱根八里 4 山小舎の灯 5 ほたる
Ⅱ 戦後(不戦の誓い)の歌
6 ひめゆりの塔 7 長崎の鐘(付 新しき朝の) 8 鐘の鳴る丘
Ⅲ リクエストの部
施設備え付けの歌詞集(約40曲収録)から指定して貰う。
昨日は、ヴァイオリニスト1、歌唱介助3を得て、計5名で当たった。
このボランティア活動の主宰者であるI夫人は、備え付け歌詞集から曲を選んでもらいたいと口癖のように要求する。
しかし、僅か40曲ほどの中で毎月歌い続ければ、毎回変わり映えしない内容になるし、季節や時流に合わせることが殆ど出来ないので、当方は自己流を守っている。
いずれ考え方の相違で協力できなくなると予想するのは容易である。引き際のタイミングを悩まなくて済むから、勿怪の幸いと思うことにしよう。
我ながらよく出来たプログラムだと内心満悦の態で臨んだにも拘らず、余計なお喋りをしている間に大事な1曲を歌い忘れてしまった。ひめゆりの塔、長崎の鐘(付 新しき朝の)と、やや深刻な歌が続くので、お口直しにと予定した「鐘の鳴る丘」を何故かすっ飛ばしたのだ。
仲間の誰も注意してくれなかったのは、我が不徳の致すところか。こんな失敗もあることを思えば、プログラムはお客さんにも配布するのがよさそうだ。あまり大袈裟な行事にはしたくないのだが。
ところで、ボランティアの手許用歌詞カードに「箱根八里」の歌詞中、“前に聳え、後方にささふ”とあるのを目敏く見付けたメンバーがいた。当方も気付いていなかったのだが、言われてみると、ミスプリのように思えた。
“まえにそびえ しりえにさそう”と覚えていたから、“ささふ”では不都合な気がした。実はネット検索した歌詞をコピペしたものに過ぎないのだが、言いそびれて、ミスプリかなと呟いたのだった。
帰宅後、調べてみると、“ささふ”は正しかった。“支ふ”だった。何十年か前には知っていたのだろうが、覚えた発音だけで歌い続けるうちに“原字”を忘れていたようだ。歌詞の意味も当然忘れてしまっていたのだ。類似の事態は、他の歌にも起きていることを懼れる。
ヴァイオリニストさんはヴォランティア仲間では飛びっきり若く、日頃元気ぶりを見せつけているのだが、自宅から会場の施設まで歩いて来たと聞いて、みんな仰け反らんばかりだった。
気温35℃の炎天下、アップダウン有り何キロもの道のりを、軽くもない荷物を担いで歩き通すとは、それこそ「鐘の鳴る丘」の世界ではないか。はたまた、「箱根八里」“猟銃肩に草鞋がけ 八里の碞根踏み破る”の図か。
興味が湧いて、想定ルートの長さを地図上で測ってみたところ、片道約4キロと出た。因みに、当方の歩行距離は片道約0.8キロに過ぎないが、未だか、未だかと足取りは重かった。