我が意に沿わないご時世とあって、内心、愚痴の絶えない日々だ、時には吐き出さないと憤死しかねない、と言うのは誇張だが、最近の北朝鮮情勢に絡み、国会議員の猪木氏が近々同国を訪問するとの報道と共に、面白い記事を見た:
~猪木氏が盛んに語る「外交に一方的な勝利はない」という信念も、プロレスが相手の強さを引き立て、双方がウィンウィンの状況をつくることが最高の試合である、というその本質がよい意味で影響している~”
プロレスラーがいつの間にか国会議員になっていたのに驚いたのは、もう随分前のことだと思う。猪木氏が北朝鮮要人と交流できることも不思議に思っていた。
素朴な疑問が百パーセント解けたわけではないが、上に引用した猪木氏の「外交に一方的な勝利はない」という信念は、11年前の我が経験を思い出させる。
ある公的な会議の席上、“このような交渉ごと(訴訟)においては、折り合いを付けることが現実的である”旨の陳述をした。一方の当事者側の会議であったが、みなさん、要求貫徹の意気軒昂であった。
第三者の立場で見れば、相手側にも一理あることは明白であったが、面子や政治的な思惑などもあって、責任者は拳を振り上げたまま、降ろせなかったようだ。周囲の関係者たちは、無責任だから、威勢の良い声を張り上げていた。誰も冷静な意見を出さなかった。
結果は、訴訟で大損をした。誰も責任を取らなかった。追及もされなかった。みんなが声を揃えて要求貫徹を唱えていたから。我が国のいわゆる世論には、このような傾向が無いだろうか。無ければ幸いだ。