「聞き書き 井上頼豊 音楽・時代・ひと」(井上頼豊~堀内敬三~敵性音楽追放 2013/12/11(水))には興味深い逸話が散りばめられている。最近の秘密保護法制定や共謀罪蒸し返しを髣髴させる(?前後関係が逆?)七十~八十年前の出来事などを抜き書きしておこう:
“治安維持法や国家総動員法でだれも文句が言えないような時代に、音楽家の意見を発表する自主的な運動「楽団プロメテ」をつくった。メンバーは安倍幸明、小倉朗、尾崎宗吉、原太郎、深井史朗、山田一雄、山根銀二、園部三郎、松本善三、桑沢雪子、喜安三郎、井上頼豊だった。創作、演奏、批評の三分野を統一した仕事をしようというものだったが、2回の演奏会しか出来なかった。運動よりも早く情報局の圧力があった。
音楽団体に直接の統制が強まり、楽壇新体制推進同盟(山田耕筰、堀内敬三、吉本明光が指導)が発足し、ジャズが禁止され、ダンスホールが閉鎖された。
音楽批評家にもファシズムを掲げ、ユダヤ人排撃を唱える者が出てきた。演奏曲目(作曲家)にも規制が掛るようになった。これらに対して音楽家やファンの側から意見は出せなかった。どんな音楽会にも憲兵や警官が監視に来た。
大正リベラリズムからさほど時間の経たない時期に言論や演奏が効果的に抑圧されるようになったのには、マスコミが政府のちょうちん持ちで、真実の報道が無かったことが大きい。権力に対立する者に対する直接弾圧は容易であり、それを当然視する雰囲気があった。みんな黙ってしまった。最初に権力が介入して来た時にみんなが手を繋ぎ、守るべきものは守る覚悟で対処すれば、事態は変わっていたかもしれない。
今(四半世紀前)はマシな状況だが、簡単に昔通りのやり方で抑圧して来るかも知れない。ほかに手は無いはずだ。要するに、数と力で問答無用にすること、組織をあらかじめがんじがらめにしておくでしょう。”