旧制高校寮歌を歌い継ぐ人たちの集う「会」のお便りに面白い記事があった。一高寮歌の代名詞の如き「嗚呼玉杯に」の一番、出だしの2フレーズ“嗚呼玉杯に花うけて 酒に月の影宿し”の主体は誰かという設問だ。
嗚呼玉杯に花うけて 酒に月の影宿し
治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て
向ヶ岡にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し
玉杯の美酒に花びらを浮かべて飲んでいるのは「一高生」か「巷の俗人」か、解釈が分かれているのだが、それについて過去に論考を発表した人が多数おり、それをまた詳細に調査、整理した人がいるのだ。
当管理人は、「一高生」説が自然だと思っている。ところが、関係者の間では、「巷」説が多数派なのだそうだ。両説それぞれに根拠を列挙しており、いずれにも一理あり、論理的に決着をつけることは無理な様子だ。
今回の記事には論及の無かった視点を一つ挙げておこう。問題の一番と対比して2番の歌詞を見ると、詩想がはっきりするのではないか。
芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ
清き心の益良雄が 劍と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か 人世の偉業成らざらん
全体として、一高生の心意気を表現していることは明らかである。それを優雅に、或いは美麗に表現した2フレーズが1,2番で見事に対応しているではないか。“治安の夢に耽りたる 榮華の巷”という1番の3,4フレーズは、一高生が“低く見る”対象を挿入したものであって、歌の主役として出だしの部分1,2フレーズを頂くほどの地位にはないのだ。
歌詞を精細に分析吟味すればするほど、多様な要素が炙り出され、収拾がつかなくなる。むしろ、歌詞の全体を統一的に眺めることで、詩想の正解が得られると思う。木ばかり見ないで、森を見よ、なんて偉そうな口を一度は利いてみたかった。今回は許されるかな。