山本周五郎「寝ぼけ署長」(新潮社 2014.11)を読んだ。戦後間も無くの頃、雑誌に連載された一連の警察小説をまとめたものというから、発表後七十年余の古典で、時代設定は更に二十年ほど遡ると思われる。
その第1話「中央銀行三十万円紛失事件」というタイトルには惑わされた。“中央銀行”とは日本銀行を暗示しているとばかり思ったのが勘違いだと解ったのはかなりのページ読み進んでからだった。民間の一市中銀行の設定だった。“国の中央銀行”という概念は著者の頭には無かったようだ。
その現金紛失は内部犯行であり、銀行は被害者であるとして犯人捜ししか念頭に無い捜査員たちに対して“寝ぼけ署長”は、≪金は銀行にある筈だ≫と断言する。それは、現金は行内に隠されただけで、未だ持ち出されてはいないという推理を述べたもののようだが、当方は、ここでも勘違いをした。
銀行が何らかの裏金作りのために紛失すなわち盗難を装ったのが事件の真相であると喝破したものと受け取ったのだ。さすが一流の作家は時代に先駆けた発想をするものだと感心した。そういう読み方が出来るような記述だったのだろうが、本は図書館に返してしまったので確認できない。単なる早とちりでなかったことを信じたい。
第4話「新生座事件」は地方公演の劇団を舞台として、殺人事件が起きるのではないかと思わせるスリラーの趣がある。その中に≪~みんなでシュミットボンの「街(ちまた)の子」の歌を合唱してから~≫という件があった。
「ちまたの子」と聞けば、“わたしは まちのこ ちまたのこ”という歌の文句を思い出す。子供の頃聞き覚えた流行歌の一節だ。検索したところ、美空ひばりの歌った「私は街の子」(1951)と判った。
「街(ちまた)の子」の歌とはどんな歌か。みんなで合唱したというからには、これも流行した歌のひとつだろう。ただし、シュミットボンの「街(ちまた)の子」という劇か映画の主題歌あるいは劇中歌であると思われる。ネット検索では手懸り無し。
次のような項目が一つ:
≪サウンド・オン・フィルム特別上映会|『路上の霊魂』生演奏上映会|公式 ...
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本作は、シュミットボン『街の子』(森鴎外訳)、ゴーリキー『夜の宿(どん底)』(小山内訳)を元に、牛原虚彦が自由に翻案した。人間の悩みを主題に、二つの対照的な例が並行して描かれる手法にはD・W・グリフィスの「イントレランス」の影響が見られる。1921 ...≫