蒲生俊敬「太平洋 その深層で起こっていること」(講談社 2018.8)を読んだ。版元による内容紹介はほぼ次の通り:
《日本は世界1位の「超深海」大国!→6000m以深の体積が最大
世界中で最も活発な海底火山山脈が連なり、深さ7000mを超える海溝の84%が集中する太平洋――。
海面からは見通せないその深部で何が起こっているのか?~~
宇宙飛行士が550人を数える時代に、1万m超の海溝底に到達したのは3人だけ!~
ハワイ島沖・水深1000mにひそむ火山の正体とは?
古代天皇の名をもつ謎の海山群はなぜ生まれたのか?~
「最大にして最深の海」で繰り広げられるおどろきの地球史!》
海水の概要、全地球的海洋の流れ、海水の鉛直循環、海底地形、大陸プレートの動き、地球深部と海水との交流、最深海の工業汚染など自然科学的解説を中心とする一般向け好著と言える。
当方が惹かれたのは、むしろ歴史的逸話“古代天皇の名をもつ謎の海山群”である。著者自身も相当に力を入れて調べた成果を詳しく述べている。
“北太平洋をほぼ東西に区分けするように、東経170度付近に整然と並ぶ海山群”は、その源をハワイまでたどることのできる旧ホットスポット火山の連なりだが、なぜ古代天皇の名を与えられているのかという話だ。
先ずは先の戦争中のこと、帝国海軍に徴用された貨物船「陽光丸」による機密任務、東方海面測量及び観測(1942年4月~5月)があった。任務のうち、音響測深による海山のデータの取得が目玉である。艦艇の航行に必要なデータであったと思われる。
帝国海軍の制海権の外での護衛無しの無謀ともいえる観測任務の危険性を乗船者たちは知らされていなかったらしい。幸運にも「陽光丸」は任務を果たして無事帰還した。持ち帰った貴重なデータであるが、なぜか書庫にしまいこまれて忘れられた。
敗戦後、アメリカの海洋地質学者ロバート・ディーツ(1914-1995)がフルブライト第1回生として日本に派遣された(1952年11月から1年)。彼は北西太平洋の海底地形データを求めていたところ、「陽光丸」の“機密”任務を知ることとなり、そのデータを入手するべく来日したらしい。
日本では忘却され、埃を被っていた資料をアメリカの学者が蘇らせることになった。
首尾よくデータを入手し、調査結果を生かした北西太平洋の海底地形に関する論文を彼は帰国後に発表した(1954年)。天智、神武、推古など“Emperor Seamounts”9山の名称が世に出た。その後、他の研究者たちによる命名もあり、現在は30の天皇海山があるという。
天皇名を冠したのは、ディーツの遊び心かも知れないが、貴重なデータを残した日本の研究者の功績に敬意を表したのかも知れない。
彼は、日本のデータを持ち出しただけではなく、日本に貴重な情報をもたらすことにもなった。
ディーツが来日する少し前、1952年9月に八丈島と鳥島の中間に位置する海底火山が噴火し、これを目撃して通報した漁船、明神丸に因んで明神礁と名付けられた。詳しい状況把握のため測量船「第五海洋丸」が9月23日10時に東京港から出発した。
同船は同日20時30分に「異常なし」の連絡を発して以降、消息不明となった。捜索の結果、同船は明神礁の噴火の直撃を受け、一瞬のうちに破壊されたと推定された。先に陽光丸の測深任務で活躍した技師も犠牲者に含まれていた。
後に第五海洋丸の遭難の正確な時日がディーツのもたらした水中聴音装置の記録から明らかになった。聴音装置は米軍が遭難船舶や航空機の位置を迅速に把握するためにカリフォルニアの沖合(明神礁から約八千キロ)に設置していたもので、その記録などから9月24日12時20分ごろの明神礁大噴火の直撃を受けて第五海洋丸は救難信号を発する間もなく破壊されたことが確実となった。
なお、ディーツは後に「大洋底拡大説」を発表し、それが今日の「プレートテクトニクス」に発展している。