このところ右の頸肩腕症候群で調子が悪い上に、前歯の欠損事故もあったりしていろいろ不自由を味わっている。このようにして段々老衰して行くのかなと前途を思うのだが、日々の活動を怠ると、年寄りにも容赦無く、忽ち雑用の滞貨が積み上がる。
今日も雑用片付けがてらのつもりで訪問コンサートに参加したまでは良かったが、スタミナ切れで用事は一つも片づかなかった。来週からキツイ日々が待っている。
コンサートは、季節ごとに訪問している施設で、但し改修工事中のため別フロアでの開催となり、お客さんは三十名ほどと、少な目であった。顔触れも違うのか、いつもの賑やかな雰囲気ではなかった。
男声三重唱「菩提樹 Der Lindenbaum」はもう数回こなしてきたので余裕があった、と言いたいところだが、おかしなことに、いつも同じところでつっかえる。癖が付いたようだ。緊張感に欠けるのだろう。
「ふるさとは今もかわらず」という長い題の復興支援ソングを、このグループとして初めて披露し、当方もオブリガートを初めて担当した。合せの練習をする機会が無かったので、自宅でシミュレーションを重ねた。完璧ではなかったが、マアマアの出来だったようだ。
司会を兼ねる指揮者がピアニストから聞いたこととして≪「モルダウの流れ」には元歌がある。それは童謡「子ぎつねコンコン」である≫と小話を披露した。ピアニストは昨夜のEテレ番組≪らららクラシック≫で聞いたとのことであった。
NHKのサイトには次のような番組紹介があった:
[Eテレ] ららら♪クラシック「スメタナの“モルダウ”」
2018年11月16日(金) 午後9:30~午後10:00(30分)
チェコの人々の「心の歌」モルダウ(1)母なる川を描いた音楽(2)交響詩「モルダウ」誕生の背景(3)チェコ民謡のメロディーを用いたスメタナの思い
その元歌説には全く合点がいかなかった。元歌と言うからにはメロディーが同じか、酷似している筈である。しかし、モルダウと子ぎつねのメロディーには、思い浮かべてみても、およそ近縁関係は認められなかった。
そこで、ネット検索したところ、モルダウの子ぎつね元歌説は以前からあり、短調の主題が転調して長調になる部分を問題にしているらしいことが判った。
すなわち、短調部の主題は凡そ ミラーシドーレミーミミファーファーファミー であり、長調部は凡そ ソドーレミーファソーソーソラーラーラソ となるので、後者が子ぎつねの ドレミファソーソーラファドラソー に重なるということらしい(太字部分)。
確かに音階は一致しているが、曲の途中の一部であることや、リズムが全く異なることから、当方には依然として近縁性は感じられない。勘が鈍いのかも知れない。クラシック音楽に精通する人たちが、ヨーロッパに古くから広く流布する同源の楽曲に元歌を見出しているとすれば、やはりそうなのだろう。
それにしても、モルダウの主題メロディーでなく、転調メロディーに元歌があるというのも不思議な話だ。素人の腑には落ちない。