大陸移動説を初めて聞かされたのはいつだったか、はっきりとはしないが、多分、中学校に入りたての頃だろう。かれこれ六十年も前のことながら、“世界地図に見る大陸を寄せ集めると、輪郭線が互いによく接合する”というような説明に、ある種のロマンを掻き立てられたものだ。
直観的レベルでの大陸移動或いは大陸分裂の仮説は、かなり古くからあったらしい。それを科学的に学説として確立したのがウェゲナー(ドイツ人だから、ヴェゲナーが適切か)で、その著作の邦訳「大陸漂移説解義」があることを知ったのはこれまたいつの頃か不明だ。
その現物を古書市で目にしたのは、ここ10年以内のことだ。大いに興味をそそられたが、蔵書スペースの余地が無く、買わなかった。北田宏蔵 著、古今書院発行のこの本の古書価を調べると、さほど高くないことが判った。発行時(1927.1)、かなり売れて、今でも流通があるらしい。
ヴェゲナーについて、太田浩一氏(物理学者)が「それでもそれは動く」と題するエッセーをUP3月号に寄せている。該博な知識に基づく簡潔なエッセーは、読み流して頭に入るものでもないが、ヴェゲナーの劇的な死の記述が印象的だった。
彼は地球物理学者にして探検家であった。三度目のグリーンランド探検(1930年)で、仲間の救援に赴き、11月1日に五十歳の誕生日を祝った後、帰途に発ったが、数日後に雪嵐に呑み込まれたらしいことが翌1931年5月に判明した。彼は今もその氷の中に眠っているのだと言う。
ヴェゲナーは科学史上必ずしもビッグネームとは言えない。大陸移動説が当初学会で嘲笑の的であったことが影響しているのだろうか。彼の妻は1992年に百歳で亡くなったそうだ。
話しは飛ぶが、ヴェゲナーは1880年11月1日、ベルリンのハーフェル河中の島で、シンドラー孤児院院長の息子として生まれた。その3世紀前、やはり中の島にハンス・コールハーゼなる男が住んでいた。
隣人に愛される善良な公民であったが、支配階級の悪行、専横に怒り、反逆者となり、車裂きの刑に処された。彼の名はコールハーゼンブリュッケとして残り、次のような銘板を取り付けた街路樹が残っているそうだ:
“コールハースの樫の木は枯れてしまった、十五世紀にさかのぼる古いコールハースの樫の木の場所に、1873年スダンの日に植えられた”
スダンの日云々が何を意味するのか知らないが、ここは“樫の木”に注目しよう。今ボランティア・グループで歌っている「さびしいカシの木」(やなせたかし/木下牧子)を思い出させるから:
“山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木は
今ではとても年をとり
ほほえみながら立っている
さびしいことに
なれてしまった”
さびしいさびしい
カシの木は
今ではとても年をとり
ほほえみながら立っている
さびしいことに
なれてしまった”