このところ、なぜか、童謡「七つの子」を歌う機会が多かった。
烏(からす) なぜ啼 ( な )くの 烏 ( からす )は山 ( やま )に 可愛 ( かわい )い七 ( なな )つの 子 (こ)があるからよ
可愛 ( かわい ) 可愛 ( かわい )と 烏 ( からす )は啼 ( な )くの 可愛 ( かわい ) 可愛 ( かわい )と 啼 (な)くんだよ
山 ( やま )の古巣 ( ふるす )へ 行 ( い )って見 ( み )て御覧 ( ごらん ) 丸 ( まる )い眼 ( め )をした いい子 ( こ )だよ
“七つの子”が“七羽の子ガラス”か、“七歳の子ガラス”かの議論は、“七歳”が正しいと決着がついているらしく、当欄でも≪童謡「七つの子」(作詞:野口雨情、作曲:本居長世)の七つは、七羽ではなく、七歳が作詞者の意図したところであると、藍川由美さんが文献に基づいて論証している≫と記したことがある(七草セット~七つ星~七つの子 2011/1/7(金))。
ただし、“七歳”の数字に拘る必要は無いとの意見も、作詞者自身を含めて、大勢を占めているようだ(ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』による)。
残る論点は、“子ガラス”か“人の子”かである。
歌詞を素直に読めば、“子ガラス”としか考えられないが、“七歳のカラス”は成鳥であって“子ガラス”とは言えないとの鳥類学的見解に鑑みて“七歳の人の子”説の生まれる余地があるらしい。
しかし、カラスの古巣に人の子がいるというのは余りに非現実的だから、よほど持って回った解説をしなければならない。
作詞者は面倒な理屈を踏まえて「七つの子」としたのではなく、口調の良さを多としたのだろうと想像される。“七羽”か“七歳”か、“カラス”か“人”かなどと詮索するのは脳トレの一種と心得よう。
そこで、当方が脳トレに励んだ結果、この童謡の大意は、≪カラスの古巣には、人で言えば七歳のかわいい子ガラスがいるのだよ≫との意味に違いないとの結論に達した。
先人が同趣旨の説を唱えているかも知れない。