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大森房吉 ~ 関東大地震予知 ~ 今村明恒

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上山明博地震学をつくった男・大森房吉 幻の地震予知と関東大震災の真実」(青土社 2018.7)を読んだ。資料の引用が結構多く、適当に飛ばし読みだったので、厳密に全容を掴んだとは言えないが、忘れられた地震学者・大森房吉の偉大な業績を再確認し、正当な評価を与えようとの意図に基づく評伝である。

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大森が“忘れられた”原因は、関東大地震(1923.9.1)を警告しなかったことで世の尊敬を失ったと言われることと同根である。彼の後輩格の今村明恒が世間に警告を発したのに、彼がそれを徒に人心を惑わすものであるかの如く批判したことが祟ったのだ。このことは地震学の歴史に興味を持つ向きには常識となっている。
 
上山氏は、大森が地震学者として無能なるが故に東京には当分大地震は起きないと太鼓判を押したのではないことを論証しようとした。それどころか、実は、正確にその到来を予知していたと述べている。
 
これは驚くべき新所見である。本当であるなら、学会のみならず、世間が相当大きな反応を示すはずだ。
 
氏の述べるには、大森は関東大地震発生より前に、≪関東で次に大地震が起きるのは相模灘である≫と発表、明言していたのである。学術誌及び信頼すべき学者の言を引用している。
 
しかし、これは贔屓の引き倒しというものだ。予知というなら、場所だけでなく、時を明示しなければならない。いつ(頃)発生するのかの情報が伴わなければ、殆ど無価値である。
 
その“時”については、大森自身が関東大地震発生直後に、≪およそ60年後だろうと想定していた≫と語ったとある。その通りであるなら、今の常識に照らせば、大森は、大地震の危険が迫っていると声を大にして警告するべきであった。≪およそ60年後≫ならば、今直ぐであっても不思議は無いからだ。
 
それとも、大森には60年という数字に相当確かな根拠を見出していたのか。その辺については上山氏も解らなかったようだ。
 
いずれにしろ、大森が当時世界随一の地震学者であったこと、実際に多大の業績を上げていたことは本書に示されている。関東大地震を警告しなかったことだけで以って無能な地震学者に貶められたのは不運としか言いようがない。
 
ただし、警告を発していた今村を牽制するのでなく、彼と共に、地震への備えを世に説いていたならと惜しまれる。この点は今一つ納得いかないのであるが、やはり、当分大地震は起きないと思っていたことの表れではないかとも想像される。
 
本書によれば、大森は1916年のノーベル賞候補に挙げられていたそうだ。ノーベル賞委員会からの書簡が残されていると言う。しかし、大森は、その書簡に対して応答しなかったらしい。その理由は不明であるが、当時同賞も今ほど極端な栄誉とは思われていなかったのではないかとの上山氏の推測である。同年は、結局ノーベル賞該当者無しだったそうだ。
 
大森とは対照的に、関東大地震を“予告した”として名を上げた今村だが、彼もその後はあまり華々しいキャリアを積んだと思えない。当方が知らないだけなのか、とにかく彼の伝記も数年前に公刊されていたと記憶する。バランス上、近いうちに読んでみよう。

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