伴野朗「必殺者」(光文社 S58.1.25)を読んだ。副題が「軍神・広瀬中佐の秘密」とあり、日露戦争の初期に旅順口閉塞作戦で戦死し、軍神に祭り上げられた広瀬が実は生きていて、ロシア皇帝暗殺の密命を受け、サンクト・ペテルグルクに潜入するという冒険活劇歴史推理小説である。
この種の本は、史実、虚構渾然一体に記述されているので、油断ならないが、とにかく面白い。皇帝暗殺未遂事件は明らかに虚構である。他に、皇帝一家殺害、アナスタシア王女存命など虚実綯い交ぜの話題もある。広瀬と同じく軍神の杉野が戦後も中国で目撃されたという噂が流れたとの挿話は、真偽のほどを確かめることも出来ない。本書中では、杉野は、広瀬と皇帝暗殺行を共にしている。
本書における日露戦争の大きな推移は史実通りだと思われる。肝心な点は、講和会議において、ロシアが日本に対して金銭の支払いや領土割譲は絶対に受け入れないとの態度を、交渉決裂寸前に緩めて樺太南半を差し出したのは、皇帝が広瀬らの襲撃でショックを受けた結果であるとしていることである。
皇帝が襲撃を受けて取り乱し、突発的に口走った樺太南半割譲容認が交渉決裂間際にロシア代表団に伝えられたことで、講和条約がまとまったとの設定である。史実は、ロシア代表の現場判断による決断を皇帝が事後承諾したものとされているようだ。
物語の本筋を導入するのは、現代(1982年)の国電御茶ノ水駅ホームにおける老ロシア人の心臓発作死である。一連の情景描写の小道具として、ニコライ堂の建築概要と共に歌謡曲「ああ、ニコライの鐘が鳴る・・・・・」が登場する。
歌謡曲の正式題名は「ニコライの鐘」(作詞:門田ゆたか、作曲:古関裕而)で、藤山一郎吹込みのレコードが1951(昭和26)年に発売されたそうだ。その32年後に小説「必殺者」が発売、更に35年後に当方が読ませて頂いた。
その因縁で、と言う訳ではないが、来月の特養訪問コンサートの演目に「ニコライの鐘」が含まれている。
蛇足:(国電)山手線に”やまのて”とかなが振られている。当方などは未だに”やまてせん”と呼ぶ。ある時期、個人的な趣味を公的事業に持ち込む国鉄総裁がいて、用語を独断で変更したようなことがあったと記憶する。この小説執筆の直前だったのだろうか。