ヴォランティアの合唱団の定例練習日であった。正午から3時まで、正味2時間強で、かなり充実の練習が出来る筈だったが、もたついた観があった。いつもの指導者が不在で、伴奏ピアニストが代役を務めたことが一因ではあった。
しかし、合唱団にとって命とも言うべき楽譜が難解であることが演奏の妨げになっているのも事実である。楽譜の読解に習熟していない演奏者を責めることは容易だが、わざわざ難解な楽譜を作る必要は無いだろうと思う。
要するに、解り易い楽譜を書いて貰いたいわけだ。
例えば、反復記号である。反復演奏の理屈は一応解っていても、何処から何処へ飛ぶのかを読み取って、その通りに演奏するには、それこそ“反復”練習が必要である。暗譜してしまえば問題は解消するとは言えるが、素人のヴォランティアに負担が重すぎては、肝腎の善意や意欲に水を差しかねない。
反復記号には、色々ある。ウィキペディアなどを参考に整理してみると主なものは次の通りだ:
縦線反復記号 と に挟まれた区間を繰り返し演奏する。右側の記号から曲冒頭に戻る場合には左側の記号は省略される。
D. C. は、da capo(最初から) Fineは、「終わり」 Fineのかわり
にを使うことがある。
D. S. は、dal segno(記号から)の略で、の記号に戻って再度
演奏する。は普通“セーニョ”と称する。
はvideといい、「見よ」の意味。普通はコーダマークと称する。
“to ”の表示と対で使われることが多い。
これらの記号が複数、時には入れ子のように使われたりすると、解読に時間を費やすことになる。せっかく解読しても直ぐに忘れる危険もある。
欲を言えば、反復記号の使用は控えめにして、楽譜自体を反復表記するのが望ましい。演奏者が“行ったり来たり”に神経を煩わされずに済めば、聴衆の満足度も高まるに違いない。
とまあ、こんな愚痴をこぼすようでは、己の技術水準の低さを白状するようなものか。
実は、他にも困ることがある。例えば、細かすぎる音符の羅列だ。とは言うものの、音符は音楽作品そのものだから、それを細かすぎるなどと非難がましく述べるのは筋違いだな。己の無能を呪うべきだ。
また、二つのパート譜が一つの五線譜上に入り乱れている時など、取り組む意欲が失せる。せめてパート譜を分離して貰いたいものだ。
いずれにしても、耳から覚えるという奥の手はあるが、ボケ進行の抑制のため、出来れば譜読みは疎かにしたくないと言う欲張りな面もある。どこかで妥協しなければ収拾がつかない。