某句会に顔を連ねていた時期があった。名簿の上だけの会員になり下がって十余年、いまだに事務連絡が届く。Eメールのお蔭だ。
直近句会の報告に目を通した。定例のことで、互選高得点の句が列挙されている。今回は7句であった。情緒的にはいずれの句も、なるほどと感じ入った。
しかし、理屈っぽい当方に違和感を催させるものもあった。
先ず、最高得点句: 片蔭は妻に残して坂の道
妻に対する優しい心遣いが好評を博したものだろう。作者の真意に辿り着くには、ある程度の論理過程が必要だ。特に“坂の道”の表現には一瞬立ち止まって考える。上り坂なのだろうと想像する。読み手に一考の労を求めるところが良句たる所以か。しかし、“坂の道”は冗語のようにも響く。
“片蔭”には馴染みが無い。検索してみた:
季語・片蔭 午後の日差しが建物や塀などに影をつくる。歩くにも、少しでも日陰を選びたい夏。「緑陰」や「木下闇」とは、区別して用いたい季語。古くから長塀の片蔭などは存在していたのであるが、都市の構造物の変遷もあり、大正以降、よく使われだした季語でもある。
当方ならば、≪片蔭を妻も後から辿る道≫とでもするか。
次に、次点句: 底ベニや言葉柔らか京女
これは正直言って解らなかった。“底ベニ”とは何か。口紅の基礎塗り層かと思った。そんな塗り方があるかどうかは別として。しかし、それでは意味が通じない。これもネット検索した。辻褄の合う情報としては植物名があった:
底ベニ
木槿の品種を指すようだ。だとすると、“底ベニや”の“や”は、俳句の常用助詞の“や”ではないと察しられる。後続の“言葉柔らか”から、断定の助詞“だ”に当たる“や”であると思われる。何と難解な俳句だろう。
同じく次点句: 板チョコを無造作に割る終戦忌
国語的には素直な句であるが、平板な印象だ。言わんとすることは不明である。何か深い意味が込められているとの前提であれこれ想像するしかない。当方には理解不能である。句会出席の皆さんはどのように解釈されたのだろうか。
不可解とは別に、“終戦忌”の語にも引っ掛かった。その言わんとすることは自明であるが、“~忌”の一般的な用字法との整合性が無いと思われた:
益軒忌 「養生訓」を著した儒学者・貝原益軒の1714(正徳4)年の忌日(8月27日)
道元忌 曹洞宗を開いた禅僧・道元禅師の1253(建長5)年の忌日(8月28日)
などの如く、人名の後に“忌”を付するのが常例ではないのか。
しかし、ヴェテラン俳人の作であるから“終戦忌”が季語として定着しているのも事実だろうと思い、これまた検索すると:
終戦忌 終戦忌、敗戦忌は俳人による造語、というが~『文学忌俳句歳時記 大野雑草子編』(2007・博友社)~文人の忌日をまとめた歳時記なのだが、そこに、個人の忌日に混ざって、原爆忌(広島忌)、長崎忌(浦上忌)、終戦記念日(終戦忌・敗戦忌)が立てられている。数々の個人の忌日同様、忘れることなく詠み継いでいって欲しい、という編者の祈りにも似た願いが感じられる。(今井肖子)
という訳で、個人の忌日と並列で殉難者を伴う歴史的事件の記念日を指す用法が認められたらしい。
それにしても違和感は払拭できない。終戦、敗戦を悼む(残念がる)意味が真っ先に浮上するから。