Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

浜辺の歌 ~ 縮約の歌詞第3節 ~ 誤解の“ぬれもせじ”

$
0
0
某所の≪歌う会≫で、講師(ソプラノ)が林古渓/成田為三「浜辺の歌」を独唱した。
 
彼女がイタリアで修業中、スランプで悩んだとき、師が“日本にこんな素敵な曲がある”と言ってメロディーを歌ってくれた思い出の歌であるとのことだ。
 
“歌詞は通常2番までであるが、実は3番もあるので”と言い、3番まで歌った。
 
現在一般に歌われる「浜辺の歌」の歌詞12番は次の通りで、これについては問題は無い:
 

一、  あした浜辺(はまべ)を さまよえば、   (むかし)のことぞ  (しの)ばるる。
     (かぜ) (おと)よ、 (くも)のさまよ、   ()する (なみ) (かい) (いろ)も。

ニ、  ゆうべ浜辺 (はまべ)を もとおれば、   (むかし) (ひと)ぞ、 (しの)ばるる。
     ( よ )する ( なみ )よ、 ( かえ ) ( なみ )よ、   ( つき ) ( いろ )も、 ( ほし ) ( かげ )も。

(サイト ≪d-scoreによる。) 
 
問題があるのは、講師が特に披露した3番である。諸資料に紹介されているように、林古渓の原詩が4番まであったものを、編集者が34番を約めて3番として公表したため、意味不明の3番となったと言われている:
 
三、  はやち たちまち なみをふき、 赤裳の すそぞ ぬれもひぢし。
    やみし われは すでに いえて、 浜辺の真砂(マナゴ) ご いは。
 
“意味不明”というのは、3番の前半と後半の繋がりが無いことであると思われる。
 
しかし、あまり厳格に考えず、気分中心に歌う分には支障無いとも言える。
 
ところが、現今問題になるのは、もう一段、誤解に基づく改変が加えられて次のような歌詞が出回っていることである:
 
三、  はやち たちまち 波を吹き、 赤裳の すそぞ ぬれもせじ
 
    やみし 我は すべて いえて、 浜辺の真砂 まなご いまは
 
“ぬれもせじ”となったのは、恐らく“ぬれもひぢし”の意味を取り違えたことによる。つまり“急に強い風が吹いて、裾が濡れてしまったよ”と言っているのを、“濡れもしない”と真逆に変えたのだ。
 
また、“真砂”は、仮名を振らなければ、“まさご”と読むのが普通だから、大概は“はまべの まさご まなご いまは”と歌うだろう。
 
無茶な約めに誤解を上塗りした元凶は、1918年のセノオ楽譜らしいのだが、表紙を竹久夢二の美人画で飾ったこの楽譜の出版によって「浜辺の歌」が永久保存される愛唱歌の地位を得たとすれば、以って瞑すべし。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

Trending Articles