先月来、童謡「シャボン玉」を素材に異調並行唱の不思議を取り上げた。この童謡のメロディーについては、5年前に既存曲活用の例としても書いたことがある((両津甚句~童謡「シャボン玉」~讃美歌「主われを愛す」2013/6/18(火))“結局、讃美歌と両津甚句を上手に取り込んだ曲であると見做せなくない”)。
実は、もっと単純な疑問を歌詞について抱いている。
シャボン玉(だま)飛 ( と )んだ 屋根 ( やね )まで飛 ( と )んだ
屋根 (やね)まで飛 (と)んで こはれて消 (き)えた
シャボン玉 ( だま )えた消 ( き )えた 飛 ( と )ばずに消 ( き )えた
生 (う)まれてすぐに こはれて消 (き)えた
風々 ( かぜかぜ )吹 ( ふ )くな シャボン玉 ( だま )飛 ( と )ばそ
最終行“風々(かぜかぜ)吹 ( ふ )くな シャボン玉 ( だま )飛 ( と )ばそ”に違和感があるのだ。
この文句の意図するところは、“風が吹くとシャボン玉が破れて飛ばせない(だから風よ吹かないでおくれ)”だろう。つまり、風はシャボン玉遊びを妨げるものだとの認識がある。
事実はどうだろうか。単純に言って、風が無ければシャボン玉は直ぐに落下する筈だ。玉の表面を形成する液の比重は明らかに大気より大きい。つまり、シャボン玉は空気より重い。重力の外に作用する力が無ければ、シャボン玉は地表に向けて落ちるだけである。
シャボン玉がふわふわ漂流したり、上昇(時には下降)したりするのは大気の動きに乗っているからだ。つまり、風が無ければ屋根まで飛ぶことも無い。ほどほどの風はシャボン玉遊びには必要なのだ。