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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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ゴンドラの唄 ~ 歌詞の揺れ ~ 譜割りの妙

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この夏某ボランティア合唱団で訪問コンサートの演目にしている吉井勇/中山晋平「ゴンドラの唄」(1915)は、今更お浚いの必要も無いような国民的愛唱歌のように思われる。思考のちょっとした隙間にふと口を突いて出てきたりする。
 
今日もバス停でボーっと待っていると、「Danny Boy」に次いで「ゴンドラの唄」の一部が頭に浮かんだ。
 
メロディーに載せて“あーすのーつきーひは なーいもーのを”と脳内再生したところで、違和感を覚えた。“つきーひは”?“つきーひの”?どちらが正しいのか、決め手が無い。何となく“つきーひの”が良さそうに思えた。“つきーひは”が事務的印象で、“つきーひの”には情緒が感じられたのだ。
 
帰宅してネット検索したところ、両派の勢力伯仲の趣であった。
 
原詩を忠実に再録したサイトは無いかと探索したところ、高知県香美市が用意していた:

「ゴンドラの唄」 作詞:吉井勇  作曲:中山晋平                           

いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
朱(あか)き唇、褪(あ)せぬ間(ま)に、
熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間(ま)に
明日(あす)の月日(つきひ)のないものを。          


いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
いざ手を取りて彼(か)の舟に、
いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に             
こゝには誰(た)れも來(こ)ぬものを。


いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
波にたゞよひ波の様(よ)に、
君が柔手(やはて)を我が肩に
こゝには人目ないものを。                     


いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
黒髪の色褪(あ)せぬ間(ま)に、
心のほのほ消えぬ間(ま)に
今日(けふ)はふたゝび來(こ)ぬものを。


歌詞の出典:1915(大正4)上演の劇『その前夜』の脚本より。
 
これにて一件落着である。大衆に広く歌われて百年も経てば、歌詞のこの程度の揺らぎはあって不思議は無い。むしろ、この程度で収まっていることに感心するくらいだ。
 
しかし、この歌詞をなぞっていくと、他にも幾つか気になる箇所が出て来た。
 
先ずは第3節“こゝには人目ないものを”である。暗譜で歌うと、“こゝには人目ないものを”あるいは“こゝには人目ないものを”になりそうである。第2節の“こゝには誰(た)れ來(こ)ぬものを”に対応させると、“人目”と歌いたくなる。音節数に合わせれば“人目”と原詩のように落ち着く。

ネット検索すると、“人目”も“人目”も見付かる。ウィキペディアは“こゝには人目ないものを”としている。
 
もう一つは、第2節の“いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に”である。現代人の読み方では“頬(ほ)”ではなく“頬(ほほ)”になるし、そのように歌うことは譜割り上全く問題無い。佐藤千夜子でさえも既にそのように歌っていた。
 
気にし出すと迷路に入り込むのが、各節第4行目である。第4節では“今日(けふ)はふたゝび”のところ、譜割りに混乱を来し、メロディーも覚束なくなる。

その原因は、楽譜を見ると、各節行頭の文句の音節数の違い(3または4)と、それに呼応する次の文句の音節数(4または3)に忠実な譜割りにあるのではないかと思われた。
 
歌う際に、メロディーに歌詞を押し込むか、歌詞の音節を楽譜に機械的に載せて行くかの違いである。当方などは、前者の流儀に馴染んでいるが、この歌の楽譜は後者の流儀である。

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