某施設での歌う会でとても面白い経験をした。
そこでは、司会者が予め選定した曲を次々に歌う。ピアニストが伴奏するのだが、打合せ無く、ぶっつけ本番なので、楽譜無しで弾くことが多い。ピアニストの知らない古い歌も多い。その場合、会場の人たちに歌わせて、ピアノは適当に合せて弾く。
今日の会で最初にその方式で歌ったのが小学唱歌「みなと」だった。司会者もピアニストも知らない曲なので、先ず会場に歌わせた。ばらばらのピッチで歌い始めたが、直ぐに統一された。当方を例外として。そのまま二つの異なる調で歌い終わった。ピアノは当然に多数派に合わせての伴奏であった。
初めからきちんと歌おうということになって、今度はピアノが出だし部分を少し弾いてから、“ハイ”の号令で歌い出した。おかしなことに、当方は先ほどと同じ“異調”で自然に歌い出した。ピアノや皆さんの歌から外れた調が最後まで続いた。
厳密に言えば、この歌い直しの初っ端で当方の音高はちょっぴり前回よりも低めであった。それが間も無く元の調に戻っていた。中途半端なピッチでは歌いづらいのだろうか。
皆さんの調はハ長調であった。当方は変ホ長調であった。これは、ヴォイスレコーダーの録音をチェックして判った事である。当方には絶対音感は無い。
さて、何が面白いかと言うと、歌い直しでも当方が初回と同じ調で歌ったことだ。普段は音高など直ぐに忘れてしまい、度々伴奏者に正しい音を出して頂いている身なのに、今日は何故二度同じ調で歌ったのか不思議だ。ピアノの音(異調)もしっかり聴いているのに。
想像すれば、歌ごとに、自分の歌い易い調というものがあり、その原理が発現したものかもしれない。
もうひとつ、面白いと言うより、感心したことで、皆さんの歌が自然に収斂した調、すなわちハ長調が、「みなと」の原調だったということだ。当方に言わせれば、これは奇跡だ。皆さんがバラバラに歌い出したものが、どうして“正しい”原調に収まるのか。
実は、絶対音感を有する誰かがリードしていた、という可能性は無いものとしよう。
ハ長調が一番歌い易く、皆さん、それが身に沁みついていらっしゃっただけなのか。当方を例外として。
音楽教育学者のご教示を頂きたいところだ。
(ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』から転載)