暑くて体がだるい。だるいから外出しない。となると悪循環で、生ける屍と化する恐れがある。勇を鼓して、炎天下、某施設の月例“歌う会”に出掛けた。主任講師のソプラノ、ピアニスト、何でも屋のパーカッショニストの三人組という豪勢な講師陣だ。炎暑の所為で参加者がいつもより明らかに少ないのは勿体ないことだ。
ピアニストが編み出した短いテーマ(湾岸戦争時代の作だそうだ)を様々に変化させて弾き、パーカッショニストが打楽器やフルートで加わり、やがてソプラノがヴォカリーズで盛り上げる即興演奏を聴かせた。常例のソプラノソロは、今日は「初恋」だった。現役歌手としての張りのある声だ。
主任講師のお喋りが目立って短かく、予定した歌の数々が迅速に消化されていった。案の定、時間が余った。彼女、悪びれもせず、何を歌おうかと自問していると、会場から「高原列車~」の声が上がった。この会では定番曲だが、それでは面白くない。
またまた勇を鼓して、“きょうは大中寅二の誕生日だから、「椰子の実」を歌いませんか?”と提案した。これは大概の人が馴染みの歌とあって、すんなりと決まった。施設側にもお手製の歌詞ポスターがあり、直ぐに貼り出された。全篇歌い通して、めでたし、めでたし。
“大中の誕生日”であることについては、誰からもフォローは無かった。よって、滝廉太郎の命日でもあると紹介するチャンスも無かった。
大中寅二 1896年(明治29年)6月29日- 1982年(昭和57年)4月19日享年85 ほぼ86
29629は素数 570419は素数
滝廉太郎 1879年(明治12年)8月24日- 1903年(明治36年)6月29日享年23 ほぼ24
36629は素数
一般の日本人の間では、滝の知名度が圧倒的に高い。大中は「椰子の実」で知られてはいるが、滝の「荒城の月」ほどではない。残した作品などの実績で見れば、大中が量的には圧倒的に優る。生きた年数を比較すると、1:3.6 だ。作曲家として活動した年数が判るとして、比を取るなら、その比は一桁上がるのではないか。