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河北新報~東北振興歌~報知新聞

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「東海林太郎歌のすべて(東海林太郎吹込歌謡全集)」(2014/4/9())によると、仙台の新聞、河北新報が懸賞募集して、選定したという「東北振興歌」を東海林太郎が1936(昭和11)年にレコードに吹き込んでいる。
 
作詞は渋田進、作曲は阿部武雄となっている。探索しても、そのレコード音源や楽譜は勿論、歌詞さえ見つからなかった。
 
ところが、思いがけず、昭和時代初期の雑誌「日曜報知」(報知新聞社)の目次に“東北振興歌歌曲”とあるのを発見した。幸運にも、その雑誌の現物を閲覧する事が出来た。確かに、“東北振興歌”の楽譜と歌詞が掲載されていた。
 
しかし、紙質老朽の貴重資料であるため、セルフコピーが許されず、古文書専門業者に依頼することとなった。僅か1枚のB4コピーを入手するのに、十日ほどの時間と五百数十円の料金支払いを要した。そこまでして手に入れなければならない資料なのかと、我ながら疑問に思わないでもないが、これが“蓼食う虫も~”の世界なのだろう。
 
さて、高価なコピーを改めて眺めてみると、タイトルは“東北振興歌”に間違いないものの、報知新聞社選で、作詞は武重守、作曲は東京音楽学校となっている。雑誌を手にした時にはそこまで確認せず、てっきり河北新報選の“東北振興歌”だと思い込んでしまった。
 
要するに、ほぼ同じ時期(1935年頃)に、中央と地方の新聞社がそれぞれに“東北振興歌”を選定していたのだ。
 
当時は、1929年に始まった世界恐慌の只中で、日本全体が“振興”を必要としていたと思われるが、特に東北について見れば、度重なる冷害・飢饉のほか、193333日の「昭和三陸地震・津波」が想起される。
 
政府による震災復旧事業は災害発生直後から始まっているが、その後数年掛けて様々な復興事業が実施されている筈で、その名も「東北振興調査会」という政府機関が設置されたのは1934年(昭和9年)12月だそうである。1935年(昭和10年)5月には内閣に東北振興事務局が設置され、東北振興の恒久対策を目指した(ウィキペディア)。
 
ということで、二つの“東北振興歌”が競作された事情が判ったような気がする。
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