近くの図書館で“文化講演会”があり、タイトルが≪鈴木貫太郎・終戦に導いた首相Ⅱ~我が祖父、そして家族の想い出~≫と面白そうなので、野次馬根性で聴きに行った。同好の士(?)が多いと見えて、定員50名のところ、希望者が殺到したため、倍の100名まで受け入れたとのことで、大き目の会議室が満杯であった。
講師は鈴木貫太郎(1868-1948)の孫にあたる鈴木道子氏(1936-)であった。貫太郎の首相在任中を含めて晩年12年程度、身近に暮らされたようだ。限られた時間内で語り切れない厖大な想い出をあれもこれもと欲張れば講演内容が散漫になるだろうところ、冒頭、2.26事件での出来事を具体的に話し出されたのは適切であったと思われる。
ネット検索で目にする情報による限り、貫太郎は概して評判が良いようだ。帝国時代の軍人でありながら、政治に関わることを潔しとせず、また、平和主義を堅持していたとの見方が一般的で、首相就任直後のルーズベルト大統領死去に向けた弔意表明も欧米で好感を持たれたと言う。
そのような祖父・貫太郎に可愛がられた道子氏の講話であるから、語られる貫太郎は理想的日本男児像であり、日本民族の滅亡を防いだ偉人であり、無私無欲の聖人である。その妻(後妻)タカ、道子氏の御両親も同様に立派な人たちであり、生きた道徳教育の観があった。
米軍による東京空襲が激しくなって秋田県に一時疎開することになったのを渋った道子氏を貫太郎が、≪次の時代を担うのはお前たち若い者なのだから、命を大切にしなさい≫と諭したそうだ。これは、日本の敗戦を見越しての言葉と受け取ってよいのか気になり、講演終了後に質問させて頂いた。
戦争中に、その見通しや開戦の正当性について、貫太郎やその秘書役を務めた道子氏の父君が具体的に語ったことがあるかどうかを質問した。真っ直ぐなお答えは無かった。戦争を早く止めさせることが貫太郎首相の一念であった、平和を導く事だけを考えていたというようなご説明だったと記憶する。
家族、親族間で当時の最大関心事である戦争の成り行きについて話が為されないことは想像しにくい。恐らく、敗戦必至であることは語り合われたのだろう。
この講演会のために図書館側で作成したかなり詳しい資料が配付された。貫太郎の年譜冒頭に、≪慶応3年(1867)12.24 和泉の国・・・にて・・・誕生≫とある。