夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間書店 2007)の巻ノ3まで読んだ。古い小説なのに、何故か全4巻いずれも貸出中で、予約待ちである。そう言えば、当方も何故今頃この小説を読みたがっているのか、振り返ってみると、新聞の書評欄に気になる記事があったからに相違無い。
密教の奥義を極めて日本に持ち帰るべく遣唐使船に便乗して唐に渡った空海の冒険物語として読めば痛快である。彼を含めて、唐、天竺、西域などの宗教家が幻術、呪術、法力を駆使し、超自然現象によって歴史を動かしていくファンタジーとしても面白い。
それ以上に、著者の歴史、宗教、文学などに関する該博な知識が縦横に供覧される迫力に圧倒される。長い漢詩文などは飛ばし読みになる。訳文も飛ばすことになる。それでも全体の読解に支障は無さそうだ。
かくて巻の3まで読み終えたところで、当方として何かメモしておくとすれば、素粒子物理学理論まで取り込んで空海に語らせていることを措いて他に無い。
第31章胡神四において、次のような場面が描かれている(文庫本の338-345ページ):
≪空海、夢の中で楽の音を聴く。笙、笛、月琴。楽の音が色を以って見えている。花の色のようでもある。各楽器が様々な形、色で宙を舞う。音が色や形として見える。それらに花の香まで嗅いでいる。触感、味覚、、、音が人間の五感の総てを刺激している。
楽の音、匂い、色、形のいずれが本体か判然としない。自分自身も楽の音そのものになる。
「私は、妙なる楽の音であり、絃の震えとして、仏の教えを衆生に伝える」
「絃の震えが変われば、別人となり、牛にもなり、牡丹の花にも、蝶にも蟻にもなる」
「およそ、この世に存在するものは絃の震えであり、総てのものはひとつのものである」≫
物質の根源的存在である素粒子は微細なひもであり、その振動のパタンによって各種の素粒子として振る舞うとするひも理論の考え方そのもののようである。空海にひも理論を語らせるまでの状況設定に著者の創作力がある。