出版社のPR誌『春秋 2014年4月号』(No.557)が“特集いま仏教的なものをめぐって”を組んでいる。巻頭論文は「立ち向かう仏教 - 上田紀行」で、現代の(日本)仏教に対するネガティヴなイメージにめげず、人々の新しい支えとなる仏教を構築しようと熱く語っている。
その中に、ダライ・ラマの「仏教も諸行無常を逃れられない」という言葉が引用されている。
「諸行無常」とは、“仏教の基本的教義である三法印の一。この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと”だそうだ(大辞林第三版)。
単純に考えると、「諸行無常」(という教義)は仏教の一部分を成すのだから、それ自体も「諸行無常を逃れられない」と推論できる。
つまり、「諸行無常」(という教義)も不変ではありえない、場合によっては滅することもあり得ると考えられる。これでは自己矛盾に陥ってしまう。仏教の基本的教義が成り立たなくなる。これは、まずいのではないか。
この困難は、「諸行」の定義が明確でないことに起因する。ダライ・ラマも不用意に、この曖昧な概念を拡大適用したのだ。最近の某国総理大臣の憲法関連の暴論もこれに類似した論理上の逸脱かと思われる。と、これは筆、ならぬ指先が滑ってしまったか。