昨秋のことだが、日経新聞の夕刊連載≪文学周遊≫で石川啄木を取り上げていた。その中で、日本一の代用教員を自認する啄木が、自作歌を生徒に歌わせたと書かれている:
≪~先生は、オルガンを弾いて「長く流るる北上の」と自作歌を合唱させる詩人でもあった~
~校長と対立した啄木がストライキをした逸話は有名だ。生徒たちは「山も怒れば」と啄木自作の歌を合唱し、学校にくりこんだ~≫
これら二つの歌の正体が掴めず、気になっていたところ、「山も怒れば」について興味深い“証言”を発見した:
≪~ 一目瞭然、二行めまでは、北見北斗高校応援歌とほとんど同じです~
~啄木作詞の即興のストライキ歌が、どういう経路で、北海道のオホーツク海にも近い北見北斗高(旧制野付牛中学)までたどり着いたのでしょうか。曲節もふくめて、歌謡伝承の伏流ということがあら
ためて思われます。この歌詞は限られた人しか知らないはずですから、ストライキ参加の教え子が、どこかで関わっていることは確かなのでしょうが、「お里」が知れて、いっそう謎は深まるばかりです≫
(『歌謡(うた)つれづれ』057 2002.08.01)
因みに、「山も怒れば」の歌詞は
山も怒れば万丈の 猛火をはいて天をつき
緩けき水も激しては 千里の堤やぶるらん
わが渋民の健児らが おさえおさえし雄心の
ここに激しておさまらず
正義の旗をふりかざし 進むはいずこ学校の
宿直べやの破れ窓
破れてかざす三尺の
凱歌をあぐる時は今
「北見北斗高校応援歌」は
山も怒れば万丈の 煙を吐いて天を衝く
緩(ゆる)けき水も激(げき)しては
千丈の堤(つつみ)破るらん
見よ若人の意気高く 堂々鉾(ほこ)とる北斗軍
と紹介されている。