来たる2月、3月の発表会で何を演奏しようか思案中だ。テーマは石川啄木と早くに決めてはいたが、曲目はなかなか定まらなかった。時間枠30分の中で演奏できるのは、常識的に6~7曲だ。対して、啄木の関係する歌となると、過去に手掛けたものに限ってみても、数十に上る。
啄木の生涯を辿るようなプログラム構成がちらっと頭をよぎったものの、手に余ると諦めた。むしろ、これから練習してひと月足らずで本番に臨むことを思えば、今何を歌えるかで決まりなのだ。それでも、一応理屈を付けなければ気が済まない。
結局、啄木の詩歌に曲を付けたものと、後人が啄木の生涯を素材として作った歌に大別整理することにした。前者に属するものは世の中に数百、あるいは千のオーダーに上るかもしれない。後者に属するものは、当方の知る限り、数えるほどだ。
今回のプログラムでは、啄木自身が自作の詩に曲を付けて実際に歌ったことが判っているものを取り上げて特色を持たせることにしよう。「渋民尋常高等小学校校友歌」と「別れ」である。
前者は、≪明治39年7月1日に「渋民尋常高等小学校生徒の為に」作詞し、メロディーに一高寮歌「緑もぞ濃き」を使用した≫とされるものである。
後者は、啄木が≪渋民小学校の卒業生送別会。“梅こそ咲かね風がほる弥生二十日の春の昼 若き心の歌声に 別れの蓆興たけぬ”と、自分の作つて与へた“別れ”の歌を、絹ちやんと文子と福田のえき子とが、堀田女史のオルガン、自分のヰオロンに合せて歌つた≫と、明治40年3月20日の出来事を1年後の日記に書き残している。メロディーは「荒城の月」を借用している。
もう一つ、事情のはっきりしないのが「春まだ浅く」の歌だ。小説「雲は天才である」の中に記されているが、メロディーを付けて実際に歌ったことがあるのかどうか、当方は知らない。後人が映画主題歌にしたり、校歌にしたりしたことは判っている。