時々頭に浮かぶけれども、素性を知らない歌の断片が幾つかある。そのひとつが≪やまふところの だんだんばたけ≫であった。先だってネット検索した結果、「麦踏み」の歌らしいと判った。そこで、季節的にもちょうど良いと思われたので、新春第1回の訪問コンサートに組み入れることにした。
ところが、改めて調べてみると、「麦踏み」ではなく、「麦踏みながら」が正式の 題名であると判明した。「麦踏み」という別の歌が厳存するのだ:
「麦踏み」 薮田義雄/井上武士 中等音楽(一) 昭和22年
麦の青さよ この霜晴れに みんな総出で 野ら仕事 葉先いとしや ほどよく踏んで
強く育てる 親ごころ 鳴いているのは やまがら ひがら 向こう根山に 日がのぼる
影を並べて 畝から畝へ 姉と妹の わら草履 根もと寒かろ やさしく踏んで
太く仕立てる 親ごころ 鳴いているのは ~
山ふところの 段々畑 麦踏みながら 見た雲は あれは浮雲
流れ雲 一畝踏んで ふりむけば 風にちぎれて 空ばかり
山ふところの 段々畑 麦踏みながら 見た人は あれは商人
旅姿 一畝踏んで ふりむけば 紅葉がくれの 後ろ影
山ふところの 段々畑 麦踏みながら 見た鳥は あれはかりがね 親子連れ 一畝踏んで ふむけば 峯は夕映え一つ星
昔々の記憶を辿れば、「麦踏みながら」を聞いたのは、中学2年生だった昭和31年、何故かバスで小旅行に出掛けた時のことだったようだ。子沢山の時代だったから、バスを十数台連ねて走ったのではないこと思うが、その記憶は無い。
何故か各クラスに、担任教師の外、若い補助の教師が配されていた。その補助教師が車中でご自慢の美声を披露したのではなかったか。生徒には大好評で、アンコールが掛った。しかし、彼がその気になった時、担任教師が制止した。静かに、しかし厳しい表情で咎めていたように見えた。補助教師はばつの悪そうな様子であった。
今思うに、バス旅行とは言え、義務教育の実践中に、教師が“ラジオ歌謡”などを生徒に聴かせるとは何事か、というお小言だったのだろうか。謹厳実直な中年の担任教師は、理科を受け持ち、特に電気関係を得意とし、専門技術者としても腕を振るっていた。確かに、コワい先生だった。
当時は何が問題なのか解らず、その後も時々思い出す出来事であった。そのお蔭で、≪~だんだんばたけ≫の断片が記憶に残ったのだろう。
そんな小事件の後でも、音楽の教師は、平気でラジオ歌謡などを教材にして、生徒に歌わせていたから、結構自由な時代だったのだろう。
そう言えば、「君が代」など歌った記憶は無い。
ところで、もう一方の「麦踏み」は、さすが教科書に載るだけあって、“真面目な”アカデミックな感じの、民謡風の歌曲である。当方の知る田植歌に通じる曲調である。同じ農作業の歌だから、当然とは言える。