近時、飛行士というと、宇宙飛行士を指すことが多いように見受けられる。通常の飛行機の飛行士はパイロットとか操縦士と呼ばれれているのではないか。
伝統的な意味での飛行士の誕生は、世界初がアメリカにおいてであり、動力飛行機の発明者でもあるライト兄弟がその栄を担ったとされている:
≪ライト兄弟は1903年12月17日にノースカロライナ州キティホーク近郊にあるキルデビルヒルズにて12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号によって有人動力飛行に成功≫
ウィルバー・ライト(Wilbur Wright、1867年4月16日- 1912年5月30日)
ライト家の三男でオーヴィルの兄。インディアナ州東部の小さな村ミルビル出身。
オーヴィル・ライト(Orville Wright、1871年8月19日- 1948年1月30日)
ライト家の四男でウィルバーの弟。オハイオ州デイトン出身 (ウィキペディア)
日本における初飛行は、ライト兄弟に遅れること僅か7年の、1910年12月19日であった:
≪徳川好敏(とくがわよしとし、1884年7月24日- 1963年4月17日)は~1910年12月19日午前、軍公式の飛行試験で日本国内で初めて飛行機により空を飛んだ≫(同)
ライト兄弟が12月17日で、徳川大尉が12月19日と、2日しか違わないのは偶然だろうか。
ウィキペディアによれば、≪1910年12月14日、代々木練兵場(現・代々木公園)において滑走試験中の日野熊蔵は飛行に成功し~19日には“公式の、初飛行を目的とした記録会”が行われ、日野・徳川の両方が成功し、これが改めて動力機初飛行として公式に認められた~徳川、日野の順に飛んだため~徳川大尉が日本初飛行”ということにされている≫そうだ。
陸軍としては、日本初飛行の公式記録も世界初と同じ12月17日に揃えたかったのではないか。そうだとしたら、何故その希望通りにならなかったのか。技術的困難があったと考えるのが普通だ。今直ぐに確認できるのは、気象条件である。飛行機は今でも気象、特に風と降水に敏感である。
当時の気象データは、降水と気温だけしか公表されていない。降水が16,17両日に記録されており、量は1.2ミリ、2.1ミリである。その前後の数日は降雨が無かった。いわゆるグラウンド・コンディションの回復した19日に公式記録会を実施したのだろうか。
いずれ、資料を漁って確認しよう。