某日某所の歌う会でのこと、小学唱歌「冬景色」について、講師(四十代後半の音大声楽科出身女性)が解説を始めた。発音の要領が主で、型通りハ行、サ行に注意喚起した。
さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず、岸の家。
彼女、ふと思い出したように、1番の歌詞にある“ただ水鳥の声はして”の個所で、≪ koe wa site ≫ではなく≪ koe hasite ≫であると言った。
当方、ぎょっとして一気に緊張が高まり、固唾を飲んで、次の言葉を待った。
彼女曰く≪水鳥の声がする≫ではなく≪水鳥の声が走る≫の意味であると。つまり、≪はして≫は≪走って≫の意味であるというのだ。
当方だけでなく、会場の皆さんもざわついたが、自信たっぷりの講師の言を受け入れるのに時間はかからない。結局≪こえ はして≫と歌った。
これを珍説であると言わずして、済まされようか。その通りの意味であるならば、歌詞としては、≪声 走り≫とするのが自然だ。≪走って≫を態々≪はして≫と変則的に表現する理由が思い当たらない。
しかし、苟も人前で指導者然と振る舞う声楽家が、根拠も無く大胆な説を開陳する筈がない。かつてどこかで、誰かに吹き込まれたに違いない。それは調べようが無いので、取り敢えずオーソドックスに資料に当たってみることにした。
ウィキペディアによれば、この歌は≪1913年(大正2年)に刊行された『尋常小学唱歌 第五学年用』が初出≫とあるので、早速、国立国会図書館デジタルコレクションを検索したところ、田村虎蔵著「尋常小学唱歌教授書. 第5学年」(明治出版協会 大正2-4)が見付かった。
その中に、≪朝まだ早いので、外の物音は聞えないが、唯どの辺(あたり)とも知れずに、水鳥の啼く声ばかりする≫という意味であると記している(p.220)。
田村虎蔵は尋常小学唱歌の編纂に与っていないようだが、その分野の大家であり、独自に唱歌教科書も著わしており、彼による当時の現在進行形の解説は信用してよいと思われる。