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哀歌「真白き富士の根」~ ガードン作曲説 ~雪冤・堀内敬三

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ボート転覆事故で亡くなった逗子開成中学校の生徒らを悼む「真白き富士の根」(真白き富士の嶺」、「七里ヶ浜の哀歌」とも)のメロディーの元は、アメリカ人ジェレマイア・インガルス(Jeremiah Ingalls, 176431-182846日)の作曲した
Love Divine』ないし後の編曲版「When wearrive at home.」であることが定説となっている。
 
少し古い楽譜集などでは、≪ガードン作曲≫と表記されており、これは、当時の賛美歌譜に付されていたチューンネーム「Garden」を堀内敬三が作曲者名と見誤ったのが起源、と推測されている(→岩波文庫『日本唱歌集』。ウィキペディア)
 
この件については、当ブログでは約5年半前に取り上げた(When I Grow Too Old to Dream~七里ヶ浜の哀歌~夢の外 2012/1/16())。
 
しかし、≪堀内敬三の勘違い≫説には違和感があった。と言うのは、彼の略歴を見ると、
 
1917年(大正6年)に渡米し、ミシガン大学にて、大好きな蒸気機関車に縁のある自動車工学を学ぶため機械工学を専攻。併せて同校音楽学部専科に学び、合唱団に参加~1923年(大正12年)、マサチューセッツ工科大学修士課程を修了し、機械工学の修士号を取得し、神戸に帰港≫(ウィキペディア)
 
とあるように、英語にも音楽にも精通していたと考えられるからだ。
 
当方は齢相応にボケて来ているので、己の作製した資料など殆ど頭に残らなくなっている。偶に以前の資料を目にして、≪へー、そうなのか≫と感じ入ることが少なくない。
 
昨日も、あるファイルの溜りに溜った書き込みを整理中に次のような情報が目に付いた:
 

≪さとの空へ 〔参考原曲〕  ガーデン

 (When We Arive home前田純孝作歌 GARDEN作曲≫

 
『作曲研究会編輯 作曲界 第一巻第三號 大正八年十二月 東京神田三崎町三丁目 音楽社出版部発行』の目次ないし内容摘録の一部である(サイト 蔵書目録 から)。この資料は、成田為三の作詞・作曲とされる「世界の平和」関連で見付けて、保存しておいたものと想像される。と言うのは、次の項目が直下に記載されているからだ:
 

≪卒業生を送る 〔同〕    ベリニイ 作曲

   祝ヘ、祝へ、祝へ。 吾文明は日々に進み、 我国威かがやけり 
   かゝるとき業を卒へ、 教育の道にと 出て立つ友の責任。 重きはものかは、 光栄添はる。
   勉め吾が友、いそしめわがせ、 われも、人も祝ひて送る。
   あ、あ、あ、あ、あ、萬々歳」≫

 
この項の直前に≪ガーデン、(When WeArive home)、GARDEN作曲≫などの表記が並んでいるのを当時見逃したものか、注目したものの直ぐに忘れてしまったものか。
 
とにかく、原曲(When We Arivehome)が≪GARDEN作曲≫と明記されており、ガーデンとカナ書きされている以上、≪ガードン作曲≫説が堀内の勘違いに源を発するとは言えないだろう。堀内が英語の原資料を見る事無く、『作曲界』により、あるいはその伝聞により、≪GARDEN作曲≫と受け止めた可能性がある。
 
ガーデンとガードンは違うなどと言う勿れ。堀内が英語の達人だったとすれば、GARDENをガードゥンと表記した可能性は高い。それが、印刷段階で「ゥ」が落ち、ガードンとなった可能性も十分あり得ることだ。
 
と論じて見たものの、諸資料の原典に当たって確認しない限り、この程度の些細な問題点でも、軽々に断定することは憚られる。幾つもの仮定の上に立つ推測に過ぎないことを頭に刻んでおこう。

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