Quantcast
Channel: 愛唱会きらくジャーナル
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

石川啄木 ~ 月に吠える ~ 萩原朔太郎

$
0
0
何かのついでに啄木の処女歌集『一握の砂』(東雲堂書店、1910(明治43)年121日)を青空文庫でスクロールしていると、17番目に次の歌があった: 

   わが泣くを少女等(をとめら)きかば  
              病犬 ( やまいぬ )  
       月に ( ほ )ゆるに似たりといふらむ
 
「病犬」を「やまいぬ」と読ませる奇抜さもさることながら、「月に吠ゆる」の表現が印象に残る。口語に直せば「月に吠える」で、文学には無縁の当方でも萩原朔太郎の詩集『月に吠える』を連想する。勿論、一字たりとも読んだ事は無い。昔々、受験勉強で作者名と作品名を覚えただけのことだ。
 
詩集のタイトルとしか認識していなかったものが、実は般用的な表現なのかと、ちょっとした驚きであった。となると、それはどのような意味合いを持つのか確認したくなる。ウェブ上に解答を捜したが、見当たらなかった。常識で判断せよとの事か。
 
朔太郎自身は、序言で、≪月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする≫のように用いている(青空文庫)。
 
ところで、啄木の生没データは≪18862 20日―1912 413日≫、朔太郎は≪1886111日―1942511日≫で、両者同い年であった。朔太郎が啄木よりちょうど30年長生きした。啄木の倍以上生きた。と言っても、享年56。
 
『月に吠える』の刊行は1917(大正6)年の2月だそうだから、『一握の砂』刊行の約6年後、啄木の死後5年弱、ということになる。両詩人に接点はあったのだろうかとウィキペディア(朔太郎の項)を参照したら、≪作品には与謝野晶子の影響が見られ、1903(明治36年)に与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首掲載され、石川啄木らと共に「新詩社」の同人となる≫とあった。
 
今年は『月に吠える』刊行百年だった。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1579

Trending Articles