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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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アメリカ流仏教入門 ~ 初歩的知識のお浚い ~ 論理訓練

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ケネス・タナカ著/伊藤真訳「アメリカ流 マインドを変える仏教入門」(春秋社2016.12)を読みつつある。著者に興味を持って図書館に借用を申し込んだのは事実だが、その切っ掛けが何だったかは全く記憶にない。いよいよ頭が怪しくなって来たかな。
 
版元の宣伝文は次の通り:
 
アメリカでテレビ放送された仏教番組を翻訳。仏教の教えを、伝統的な説明にとらわれず、現代風に解説し、人生と社会に仏教をどう活かすかを日本人にもわかりやすく教えてくれる、さまざまなエピソードとユーモアにあふれた、アメリカならではの仏教入門!≫イメージ 1
 
アメリカ人(とは言っても人種的には日本人で、日本語も自由に読み書きするらしい)の仏僧から仏教の手ほどきを受けるのは妙な気分だが、考えてみれば、日本の大学で日本人に日本文学を講じる外人教師が珍しくないご時世だ。気にしないことにしよう。
 
仏教の教えに入る前に、初めて知る仏教説話の数々に驚く。己の無知を曝け出すわけだが、仏陀を生んだ王妃が直後に亡くなったとか、彼の最初の弟子5人が、初めはその説法に納得しなかったとか、彼は(イエスと違って)奇跡を演じなかったとか、輪廻転生は悟りを得ない段階にあるものだとか、諸々。これらには異説もあるのかも知れないが、とにかく門外漢にとっては新鮮な印象だ。
 
一方、宗教書であるから、理詰めで読むのはナンセンスと知りつつも、やはり、不合理な論述には一言コメントしたくなる。
 
例えば、仏陀が死に瀕しての説法の中で述べたという次の言葉:
 
≪自分を自分の導きの灯りとしなさい。他人に頼ってはなりません。私の教えをあなたがたの導きの灯りとしなさい≫
 
この言葉は、前後相矛盾するのではないか。尤も、仏陀が、自身を「人」とは別次元の存在であることを当然の前提として、この言葉を述べたとすれば矛盾があるとは言えない。「仏」は「人」を超える存在だから、そのように考えるのが普通かな。
 
次の命題は如何か:
 
≪姿や形だけで仏を求めてはならない。姿、形は真の仏ではない。真の仏は悟りそのものである。だから、悟りを見る者が真に仏を見る≫
 
結論部分の「だから」に違和感がある。内容的には同義語反復であり、「だから」と論理を進める程の事は無い気がする。ここは、翻訳の問題があるのかも知れない。「だから」ではなく、「つまり」とすればスムーズに読めると思われるが、原文はどうなっているのだろうか。
 
同種の「だから」が随所に見られる。
 
いずれにしろ、仏教に詳しくない俗人にとっては手ごろな入門書である。

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