数学の演奏会などのライヴトークで全国行脚をしていらっしゃるらしい森田真生氏(2017/8/15(火))の「数学する身体」(新潮社 2015.10)という著書の奇抜な書名から、内容に興味が湧いて、他区の図書館に在架することを確認して出向き、借用し、一夕数学随筆を堪能した。
予想に反して、数学そのものではなく、数学史を借りてご自身の思想ないし哲学を披歴するような内容であった。難しい定理や数式が一切登場しないので、当方も数時間で読了出来た次第だ。
数とは何かとか、数学(という論理体系)自体を研究するとか、哲学的話題であれば、結構解ったような気分で読めて、飽きないとは言える。先だって、数直線の導入について拙論を記したところだが(2017/8/10(木))、本書でも類想の下、取り上げているのが印象的だった。
著者の言わんとする所の核心は、≪数学の実践は、頭脳の中での知的営みだけでなく、心の作用(情緒、直観、ひらめき)に依存するものであり、それらは身体(皮膚など)の生理現象にも支配される≫という思想であると理解したのだが、正しいだろうか。
ご自身の体験だけでなく、数学史上の巨人(ヒルベルト、岡潔ら)の事績を踏まえ、或いは近年の心理学、生理学などの知見を援用してご高説の支えとしておられる。仮説として十分に成り立つと思われた。証明は容易ではないだろうが。
高等数学のみならず、西洋数学史から日本古典にわたる浩瀚な知識には敬服する。
芭蕉の句に≪ほろほろと山吹散るか滝の音≫というのがあり、岡潔が、≪無障害の生きた自然の流れる早い意識を、手早くとらえて、識域下に映像を結んだためにできたのだろう≫と書いているそうだ。