タウン誌『空(KUU)』2017.7(第69号)に、明治時代のチベット潜入旅行で有名な河口慧海のエピソードが載っていた。彼が(仏教)布教活動の一環として、子供が理解しやすいようにと、歌を用意したというのだ。一例として:
頓(とん)、頓、頓と貪欲(とんよく)を 棄てて楽しき太鼓音
観、観、観と観世音 鐘の響に夜は明ける
出典は示されていない。歌詞だけ作ったのか、メロディーも作られたのかも判らない。
ネット検索で、やはりタウン誌『谷中・根津・千駄木』(其の六十九)に河口慧海特集を見付けた。こちらは2002年4月の発行となっており、15年も前だ。両誌とも「69」号であるのは、偶然か、遊び心の業か。
期待した慧海の子供向け仏教聖歌に関する記述は無かったが、次のような≪慧海さんこぼれ話≫が載っていた:
≪能の「翁」で謡う「とうとうたりらたらりら」(ママ)は昭和初期に慧海が唱えたサンスクリットによる祝言の陀羅尼歌「サンバ・ソウ」(能楽では三番叟)の歌詞であるとする説がある。
トプトウ(収穫は)タラリ(輝き)タラリ・ラ(輝いて)タラリア(ああ)ガレララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)ツエ・リン・ヤッ(寿命は永く)タラリ(輝き)タラリラ(輝いて)タラリ(輝きは)ア(ああ)ガレララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)~≫
カタカナ部分が三番叟の謡の文句で、( )内がそれをサンスクリットで解釈した和訳であると思われる。ウィキペディア等によれば、三番叟は中世には既に演じられていたそうであるから、慧海が唱えた「サンバ・ソウ」が三番叟に取り込まれたとは考えられない。
≪慧海さんこぼれ話≫の言わんとしたのは、古来意味不明の三番叟歌詞が、サンスクリットの陀羅尼歌「サンバ・ソウ」に起源を有しているという説があり、その説は、昭和初期に慧海が「サンバ・ソウ」を伝えたことで唱えられるようになったということだろう。
・サンスクリット語説
昭和初期に河口慧海師が唱えた、サンスクリット語(梵語)による祝言の陀羅尼歌「サンバ・ソウ」(瑞祥、あるいは作成の意)の歌詞であるとする説。宣竹説の直訳版。
「トプトウ(収穫は)タラリ(輝き)タラリ・ラ(輝いて)、タラリ(輝きは)ア(ああ)ガララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)、ツエ・リン・ヤッ(寿命は長く健やかに)タラリ(輝き)タラリラ(輝いて)、タラリ(輝きは)ア(ああ)ガレララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)」
これによれば、慧海自身がサンスクリット説を唱えたことになる。しかも、彼以前に僧宣竹が陀羅尼を示唆していたことが判る。