今日、東京の最高気温は33.7℃だそうだ。観測地点の移動前の値に換算すれば35℃を超えているだろう。その暑い最中に通りかかった言問い通り・谷中の交差点角のお寺、以前から気になっていた。一見変哲のない小寺院ながら、外人観光客がわざわざ立ち寄る姿を頻繁に見るのが不思議だった。
今日も何組もの外人さんが出入りしていた。滞留時間は1~2分程度だ。多くがカメラを手にしている。そこで想像されたのは、この寺の建物が一見の価値ありと観光案内に紹介されているのではないかということだ。
そう思って山門や本堂などを眺めてみると、なかなかに風格のある重厚な建物である。門外に案内板が立てられているので、建築物の解説かと思ったが、そうではなく、葬られている歴史上の人物についてであった:漢学者大田錦城の墓所(東京都指定旧跡)
明和2年(1765年)- 文政8年4月23日(1825年6月9日))は、江戸時代中期の儒学者。名は元貞、字は公幹、通称は才佐。他の号に老人・春草翁・柳橋釣叟・矢倉潜夫がある。加賀大聖寺の医師・本草学者である大田玄覚の子~最初に京都で皆川淇園に師事するが意に満たず、天明4年(1784年)に山本北山の奚疑塾に入る。しかし北山の人柄と合わず絶交し、江戸で私塾を開き教授を始めた。幕府の医官である多紀桂山が錦城の才学を愛し援助したために、その評判は江戸に広まる。文化8年(1811年)ごろに三河吉田藩儒に仕官。文政5年(1822年)に故郷の金沢藩に招かれ、そこで没する。(ウィキペディア)
暇に飽かせて説明の英文を読んでみると、変な箇所が目に付いた:
大聖寺に生まれ → Daishoji Temple (大聖寺は地名。)
一家の学を立てた → found (foundedとすべきところ、foundがfindの過去形でもあることに惑わされたものか)
卯月二十三日 → on 23th of April (23rdが普通)