1.最近、全国紙上で続けて“○○に圧倒”という表現を見た。“圧倒される”の動詞部分“される”を省略したものであることは一目瞭然だが、それまではお目に掛った記憶が無い。“○○を圧倒”であれば全く違和感は無い。
どちらにしても、主語は明示されているか、自明である。“○○に××される”と“○○を××する”との、助詞-動詞 の対応があるから、理屈の上では、“される”あるいは“する”を省略しても意味を汲み取るのに支障はない。
ただ、慣用の問題だ。“に”でも“を”でも、後に来る動詞は、能動形しか考えられなかった。“○○に圧倒”のように、受動形を想定した省略表現はいつ頃から使われているのだろう。当方が気付かなかっただけで、昔から使われていたのか。
2.「日本教育」2月号No.431で金沢方言“○○○ジー”が紹介されている(井上優:研究対象としての「言語」の魅力 pp.30-31)。金沢の地元新聞の記事(2008年)「なぞの文末詞、かっこいいジー」に触発されての論考である。
例示されている方言は、“課長、かっこいいジー”“おまえのうちに寝小便の布団、干してあったジー”のふたつである。
これらの“ジー”は、地元で暮らした者でなければ理解できないと思われる。直前の部分に比べてやや高めの発音(平板な)をするから、耳にすれば疑問や感嘆のニュアンスが伝わるかもしれない。
地元紙は、“金沢の人はなぜ文末に『ジー』をつけるのか。こればかりは地元の言語学者のナゾでもある。”と結んでいるそうだ。これは、語源が不明だと言っているのだろう。
井上先生も語源の種明かしはしていない。知りたければ『シリーズ方言学2 方言の文法』岩波書店、第4章を見よ、と暗示されている。
金沢方言と別れて半世紀以上経つが、微妙な発音まで鮮やかに蘇る。
“ジー”について言えば、“○○したがやジー”など、凄いのもある。若い
頃の体験は文字通り体に沁みこんでいるのだろう。