岩波書店PR誌『図書』2017年5月号に掲載の≪物理学と哲学の接近 筒井泉≫が面白い。物理学の最先端かつ根本の理論および知見を人間世界の言葉でどのように説明し、理解するかは優れて哲学的考察の問題でもある。
物理学者は哲学を、哲学者は物理学をそれぞれ勉強して、議論が噛みあって来た状況にあるらしい。これは、アインシュタインがノーベル賞を授与された頃、およそ百年前とよく似た状況だとのことだ。
時間とは何か、時間と空間との融合とは何かなどの問題は、数理物理学に歯の立たない素人でも結構理屈を捏ねることが出来そうに思える。大学者たちの真剣な討論に参加する気分を味わえるのは楽しい。
≪シュレーディンガーはショーペンハウエルに心酔して印度哲学に遡り、さらにギリシャの自然哲学の思想を追及した。ハイゼンベルクも古典語教師の父親の感化の下でギリシャ哲学に親炙した≫との記述に接して、思い出したことがある:
≪欧米のトップクラスのインテリ達に読まれ、大きな影響を与えていると思われる「バガヴァッド・ギーター」を、当管理人も遅まきながら読みたくなった≫(数学者・志村五郎⑨~オッペンハイマー~アイヒマン 2015/2/6(金))
健忘症で二度と思い出さなかったかも知れない「バガヴァッド・ギーター」を今度こそはと決心し、最寄りの図書館から借りて来た:上村勝彦/訳「バガヴァッド・ギーター」(岩波文庫1992.3)![イメージ 2]()
まえがき冒頭:
≪クル族のプラティーパ王の息子シャンタヌは、森で美しい娘をみかけて求婚した。娘は承知したが、自分が何をしても決して咎めないように、という条件をつけた。彼女は七人の息子を生んだ。しかし彼女は、生まれてくる息子たちを次々とガンジス川に投げ込んだ。王は約束を守って何も言わなかったが、八番目の息子が生まれた時、ついに彼女を制止した。彼女は、自分はガンジス川の女神(ガンガー)であると明かし、息子をつれて立ち去った。後に女神は王の願いを聞き入れ、その八番目の息子を王に渡した。≫
この記述では、条件を呑んで結婚したのはプラティーパ王の息子シャンタヌであるが、約束を守ったり、破ったりした王はプラティーパ王としか読めない。八番目の息子というは、彼の孫に当たる。
つづく段は:
≪ある日、シャンタヌ王はヤムナー河畔で美しい漁師の娘サティヤヴァティーに出会った。王が娘の父親に娘を妃にしたいと頼むと、父親は、娘との間に生まれる息子を王位継承者にすることを条件とした。王が悩んでいるのを知り、息子のデーヴァブラタはその条件を受け入れて、父のために娘をつれて来た。そして彼は、子孫を作らないことを約し、一生独身を通す誓いを立てた。それ以来、彼はビーシュマ(恐るべき人)と呼ばれるようになった。≫
ここで初めてシャンタヌは王として登場する。ここまで、極めて読みづらいのだが、多くの読者はどのように感じただろうか。