“山田の中の一本足のカカシ、、、、”
童謡「かかし」をいつ頃覚えたのか定かではない。一番はほぼ歌えても、その後は知らなかった。改めて検索すると次の通り:
第十一 案山子
一、山田の中の一本足の案山子、
天気のよいのに蓑笠着けて、
朝から晩までただ立ちどほし。
歩けないのか山田の案山子。
二、山田の中の一本足の案山子、
弓矢で威して力(りき)んで居れど、
山では烏がかあかと笑ふ。
耳が無いのか山田の案山子。
すっかり身に沁みついた歌でありながら、常に抵抗を感じてもいた。全国に
数十万人いると思われる山田さんが嘲弄されているのではないかと。文部省
編集の教科書(倫理道徳科ではないにしろ)に採用する歌詞として相応しい
のかと。
いわゆる差別的表現に当たるのではないかと気になりだしたのはずっと後の
ことだ:
一本足、歩けないのか、耳が無いのか
最近感じ始めた疑問は、≪何故、山田なのか≫ということだ。苗字としての
山田ではなく、普通名詞としての山田だ:
デジタル大辞泉の解説 やま‐だ【山田】 山中にある田。
山中にない田を表わす単語が幾つか頭に浮かぶが、単に≪田んぼの中の~≫
でも良さそうなものだ。
≪山田のかかし≫が殊更哀れな、みじめな存在であるとの共通認識があった
のか。ささやかな収穫しか期待できない、山間の小さく歪な田んぼのイメー
ジが昔はあったのか。しかし、カラスに笑われるカカシは、山田に限らず、
平田でも同じはずだが。